山折哲雄氏 「神とひとつ」信仰 再評価を
賀川豊彦といっても、若い世代にはもう無名に近い存在になっているのではないか。それがいささか淋(さび)しい。敗戦直後、かれの「死線を越えて」を読んで、全身が震えるような感動を覚えたことが忘れられない。
貧民窟(くつ)にのりこんだ主人公が悪戦苦闘のすえ庶民の心に溶け込み、しだいに社会運動に献身していく健気(けなげ)な生き方が、賀川自身の体験にもとづいて描かれていた。
神戸に生まれた賀川豊彦は十六歳のときキリスト教の洗礼をうけ、神戸神学校時代に路傍伝道を始めている。しかし結核に冒され苦悩の日々を送る。そんな逆境の中で明治四十二年、神戸新川の貧民窟に身を投じ、本格的な伝道を始める。結婚もし、単身でアメリカ留学をはたすが、大正六年に帰国してからは、のちに日本労働総同盟となる友愛会に参加し、中央委員となって活躍する。その体験をふまえて書かれた「死線を越えて」は大正九年に出版され、空前のベストセラーになった。この小説は上中下の三巻からなり、上巻だけでも二百版を重ね、ほぼ百万部が売れているというからすごい。