【産経抄】12月24日イブに思い出される賀川豊彦

 23日の四国新聞コラム「一日一言」に続いて「産経抄」がクリスマスイブにちなんで賀川豊彦を取り上げた。手前みそだが、イブ=賀川豊彦が連想されるようになっただけでも賀川豊彦献身100年記念事業を始めた意義があったのではないかと喜んでいる。(伴武澄)
 http://sankei.jp.msn.com/life/trend/091224/trd0912240228001-n1.htm
 今夜はクリスマスイブ。街の広場ではツリーが飾られ、あちこちで同じメロディーを耳にする。京都市立下鴨中への謎のプレゼントも、話題になっている。日本人はこれほどまでに、キリスト教のお祭りが大好きなのに、信徒の数ときたら総人口の1%に満たない。

 ▼神学者の古屋安雄さんは、近著『なぜ日本にキリスト教は広まらないのか』(教文館)のなかで、初期の信者が武士階級中心だったことによる「敷居の高さ」を、理由のひとつに挙げる。日本の教会は、神学の知識こそ進んでいたものの、貧困の問題などに対して、目を背けがちでもあった、とも。

 ▼一方で、「貧しい人々と共に生きた」キリスト教社会活動家の賀川豊彦(1888〜1960年)を高く評価する。16歳で洗礼を受けた賀川は、ちょうど100年前のきょう、生まれ故郷、神戸の貧民街に入った。病人の世話や生活相談に応じながらの伝道活動は、12年間にも及ぶ。

  ▼このときの体験を基にした自伝小説『死線を越えて』は続編と合わせて400万部という空前のベストセラーとなった。労働運動、農民運動、生活協同組合運動の指導者でもあったが、戦後になると、次第に忘れられていく。熱烈な皇室崇拝が、進歩派やキリスト教関係者から疎まれた面もある。

 ▼ノーベル平和賞に加えて、文学賞の候補者でもあったことがわかり、再び脚光を浴びるようになったのは、ごく最近だ。賀川は、神戸のスラムに入るとき、ディケンズの『クリスマス・キャロル』を思い浮かべていたという。

 ▼強欲なスクルージがやさしさに目覚めるおなじみの物語。家族でケーキを囲むのもよし、恋人と過ごすのもよし。ただ本来は、社会的弱者を思いやる日であることを忘れたくない。