12月23日付四国新聞コラム一日一言「賀川豊彦のクリスマスイブ」

 http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/column/article.aspx?id=20091223000059
 〈賑(にぎ)やかに「クリスマス」「クリスマス」と騒いで居る中を、午後二時頃から栄一は植木に助けられて、引越をした〉。社会運動家賀川豊彦が自らと栄一を重ねて書いた、大正期最大のベストセラー小説「死線を越えて」の一節だ。

 21歳の青年が向かった先は神戸のスラム街。表に3畳、奥に2畳の部屋しかなく、前年には殺人事件が起きたという家だ。そこで貧しい人々に寄り添おうと思い立ったのだった。

 現実は想像以上に過酷だった。その一つが「もらい子殺し」。乳児を金で引き取り、たらい回しにしながら飢え死にさせる人たちがいたのだ。彼は子育てもできないほどの貧しさに心を痛め、無力な自分に悲嘆するのだった。

 数々の過酷な現実に接した彼は、その生涯を通して貧しく弱い人に寄り添うと決めた。スラム街の活動を皮切りに、関東大震災の被災者救済、労働運動、協同組合の立ち上げなどに尽力した。活動は世界に評価され、ノーベル平和賞候補にもなった。

 香川にも足跡を残している。土庄町豊島の乳児院「豊島神愛館」がそうだ。戦災孤児を抱えて困っていた後の初代館長・吉村静枝に助言し、自分たちが建設した建物を融通した。その行動は、かつて見た「もらい子殺し」と無関係ではなかっただろう。

 すべての活動の原点となったスラム街への引っ越しが、ちょうど100年前の12月24日だった。今年もクリスマスイブがやってくる。富める人のところにも、貧しく弱い人のところにも。(G)