『太陽を射るもの』のデジタル作業で感じること

 先日お伝えしたように『死線を越えて』3部作をPDH化した。とりあえず、それぞれのPFD原稿はOCRを掛けてあるから「一定程度」の検索は可能となっている。PDF原稿はそのままでも十分に判読に耐えうるが、このままではデジタル化したことにはならない。
 OCRで引き出した文字の電子情報は8割程度しか判読できないので、原文と突き合わせて「修正」を加えることが必要になる。これがなかなか難義な作業なのだ。第2部となる『太陽を射るもの』(1922年、改造社)はPDFで約170ページにおよぶ。2週間かけてこの作業を行ったが、まだ最終稿とはいかない。第3部作の『壁の声聞くとき』の作業も開始したばかりである。どなたかPDF原稿との突き合わせ作業つまり「校閲」をしていただけないものか、お願いしたい。
 その先にも問題がある。旧カナ遣いと旧漢字をどのように現代文に治すかという問題がまずある。ついで言葉遣いについても当時は当たり前でも、現在の社会通念から不都合と思われる用字用語も少なくない。これをどう書き改めるかという問題もある。もちろん「古典」はそのままで伝えればいいという考え方もある。
 それにしても戦前の文学というものは表現が奔放なのである。当て字は使い邦題だし、要旨用語の統一もまったくなされていない。これはたぶんに編集段階問題であるのかも知れない。
 『死線を越えて』3部作については「青空文庫」でデジタル化が進められている。賀川豊彦の作品はまだアップされていないが、たぶん著作権の問題で、正式には来年の4月に解禁となるのだろうと想像している。賀川豊彦関係団体が「青空文庫」に先を越されては恥ずかしい。賀川豊彦関係者の中で現在、賀川の著作のデジタル化についての議論が始まろうとしている。どういう結論が出るか分からないが、一人でも多くの賛同者、協力者と募りたいという思いである。(伴 武澄)
 『死線を越えて』3部作については小生のホームページである「萬晩報」にとりあえずアップされているから参照されたい。http://www.yorozubp.com/