世田谷文学館シンポジウム「賀川豊彦の文学」2日目


 世田谷文学館での賀川豊彦没後50年記念講演会・シンポジウムは24日、「賀川豊彦の文学〜その作品の力」と題した2日目のシンポジウムが開かれた。加山久夫氏の司会のもとに、田辺健二・鳴門市賀川豊彦記念館館長、森田進・恵泉大学名誉教授、濱田陽帝京大準教授がそれぞれの立場から議論を進めた。
 加山氏は5年前、明治学院大教授から世田谷区上北沢にある賀川豊彦記念・松沢資料館館長に就任。賀川の文学が忘れ去られた理由として「個人的には多面的に知的関心を持ちすぎていたため、その分野でも素人扱いされた。素人といってもその知識ベースは非常に高度で私は大いなる素人と呼びたい。今日は賀川への批判も含め自由に発言してほしい」と述べた。
 田辺氏は元鳴門市教育大教授。日本の近現代文学が専攻。「賀川は『死線を越えて』で鮮烈なデビューを果たした。3部作は400万部という当時としては破格の出版部数を記録し、書店から注文が相次いで印刷が間に合わないほどだった」「賀川の文学には自伝系と虚構系、そしてSFまで幅広い。私は大衆文学に位置づけたいが、大衆といっても決して低俗でない。教養文学、啓蒙文学といっていい。賀川に近いのは宮沢賢治山本有三ではないか」と賀川の文学を特徴づけた。
 自ら詩人でもある森田氏は「賀川の短歌もおもしろいのに全く評価されていない。高校時代に読んだ『死線を越えて』3部作は学校へ行くのも忘れ、嵐に出会ったような激しさを感じた」「隅谷三喜男の賀川本を読んだ後、『詩人賀川バンザイ』と書いたことがあるほど賀川に詩人を感じた。賀川は詩人の考える詩とは違う詩を書いた。飛躍が論旨をつなぐ決定的な役割を果たし、肉体的表現で愛を説くとき説得力があった。人生で詩を演じ切った人物」と評価した。
 濱田氏は比較宗教学が専攻で、京都の、国際日本文化研究センターに在席していた。冒頭「韓国人の妻から賀川豊彦みたいな人を研究しなくてどうするのよ」と迫られたエピソードを紹介。「近代日本を明るくしてくれる人」「宗教者の文学性」「日本の自然から親しみを得て、キリストから愛を受けた新しき人」という三つの観点から賀川の文学を論じ、「新渡戸稲造が武士道クリスチャンなら賀川は侠客道クリスチャンだ」「賀川には空海のように他宗教を包容する意識があり、賀川の説いた宇宙悪は親鸞に通じるものがある」と賀川の詩や文学から得るインスピレーションを大切にするべきだと論じた。
 3人の話で共通していたのは賀川の作品が読者に与えた「力」の存在だった。また悲惨なスラムの状況を描写しながらもどこかに「明るさ」(濱田氏)があり「希望」(森田氏)があると賀川文学の独自性への言及もあった。
 シンポジウムには賀川豊彦ゆかりの人々も多く参加しており、パネリストの意見交換の後に賀川の思い出話も披露された。
 シンポジウムは加山氏らによる世田谷文学館への強い働きかけによって実現したもの。世田谷区ゆかりの文学者は少なくないが、社会へのインパクトという点では賀川豊彦は欠かせなく、21世紀にもう一度再評価のチャンスが与えられるべきだという思いがあったようだ。昨年2009年は賀川献身100年記念事業が東京、神戸、徳島を中心に展開され、その余韻が没後50年の今年になってもまだ続いている。国連は2012年を国際協同組合年としており、賀川を語る日々がまだまだ続きそうだ。(伴 武澄)