世田谷文学館シンポジウム「賀川豊彦の文学」で太田治子さん講演

10月23日、世田谷文学館賀川豊彦没後50年記念講演会・シンポジウムが開催。初日は作家の太田治子さんが「賀川豊彦 その愛」と題して講演した。
 太田さんは太宰治の娘として多くの著作を上梓してきたが、NHK日曜美術館の司会アシスタントとして1976年にデビュー。冒頭、数え切れないほどの付箋をつけた文庫本の『死線を越えて』を示しながら「この講演会のためにこの一週間何度もこの本を読んだ。こんなに付箋をつけたのは初めて」を話した。
 少女時代、拾ったじゃがいもをふかして食べたことなど母親との貧しい暮らしを紹介しながら、貧民窟物語としての小説『死線を越えて』への共感を語った。父太宰治との共通点に関してはともに父親を知らずに育ち、裕福だった家への反発があったとし、「生命といえば、このごろ全く食欲がない」と小説の一部を朗読しながら「『人間失格』にも同じことを書いていると説明した。
 また、人間豊彦について選ばれた者としての意識が強かっただけでなく、「母になりたい」「女になりたい」というユニークな面も持っていたそれは『愛されたいという思いが強かった』からなのだと思う」と話した。
 ただ「これだけ清らかな人物だったのに、戦争中に軍部に屈したことと戦後『一億総懺悔』を求めたことは私にとってつらかった。ガンジーのように非暴力に徹してほしかった」と賀川豊彦の陰の側面についても語った。

 世田谷区文学館館長の菅野昭正氏は「賀川豊彦の作品は死線を越えて3部作と一粒の麦を読んだ。人生論やいかに生きるか、宗教、貧民窟、協同組合などを通じて語った作品は日本文学にとってレゾンデートルを持っていると思った」と語り、「私が学んだフランス文学と比べて日本のそれは概念が狭い。フランスだったら賀川のような人は堂々と文学者として認められ、文学史に連なるはずだ。賀川が忘れ去られた理由のひとつに日本のそういう狭さがあると思う」と惜しんだ。
 菅野氏の話 賀川の達成したいろいろな仕事、社会活動、伝道、文学を総合的にとらえて思想的作家として解明し、読者に伝えられる仕事を手がけて、21世紀に賀川を思想的活動的作家として伝えられれば、一読者として嬉しい。最近、文学が世慣れないのは、人間の心や魂を深く掘り下げる精神が世界的に弱まっている気がする。