黒川泰一 ( くろかわたいいち )

1902年(明35)4月24日,福井県に生まれた。1915年(大4)14歳のとき志を立てて上京,働きながら学ぶ生活に入った。関東大震災直後上京した賀川豊彦(別項)とめぐりあい,その薫陶を受け,社会運動を天職と決めた。家具生産組合書記,消費組合理事,早大専門学校中退,日本労農党書記,医療組合主事,産組中央会の課長などを経て,共栄火災海上保険会社の課長で終戦を迎えた。この間,獄中生活2回(通算3年)。戦後は,2,3の要職を歴任後,全国共済農業協同組合連合会全共連)の設立事務局員,部長,参事,常務理事として草創期の共済事業を育てあげ,全共連の基礎づくりに貢献した。全共連退任後は東京医療組合の組合長に就任。弁舌さわやか,筆も立ち,著書,論文が多い。1985年(昭60)9月12日没。人柄はおおらかで温厚,社会改良の使徒としての一生であった。(前田関男)
=協同組合人物略伝 【国内】から転載
http://www.ienohikari.net/data/kjinryaku/meisai/kurokawa.htm