福井捨一 ( ふくいすていち )
1871年(明4)12月12日,長崎市に生まれた。長崎外語学校を卒業して海運業界に身を投じ,逓信大臣となった内田信也と親交があった。当時労働組合がストライキ闘争によってのみ労働者の生活を守る方向にあったのに対し,賀川豊彦(別項)は労働組合運動と協同組合運動は車の両輪であるとの信念により,地域ぐるみのキリスト教の愛の精神に基づく消費組合運動を提唱し,1920年(大9)11月大阪共益社を成立させ,つづいて翌年4月その姉妹組合として神戸消費組合を創設したが,彼は招かれてその初代組合長に就任した。この組合は,どこまでもロッチデール原則(→索)を厳守した消費組合として内外に注目された。彼は現金主義,市価主義,割戻主義の3原則とともに酒は生活必需品にあらずとしてこれを取り扱わず,あくまで生活必需品を中心とした予算生活の実行による家庭の健全化と,いたずらな商人との摩擦を排除した理想的な運営を図った。当時は必ず法律をもって購買組合の名称を用いることになっていたにもかかわらず,あくまで消費者組織を確立し理想社会を建設することが本来の目的であるといって,定款第1条に「本組合は協同互助の精神を普及し経済組織の改善を図りあまねく人類の福祉を増さんがために」という一句をうたい込み,有限責任購買利用組合神戸消費組合と名づけた。そして家庭の主婦の協力なくしては健全な組合運動の発展は期せないということから小泉初瀬(灘購買組合3代目組合長小泉秀吉夫人)の協力を得て家庭会の育成を図り,さらに消費組合学校を設けて従業員教育に意を用い,毎朝仕事始めに全員集合して讃美歌を合唱しつつ朝礼を行うなど精神教育に努めた。こうして理事会と3K会(従業員組合)と家庭会との三位一体的活動により,日本協同組合史に残る神戸消費組合をつくりあげた。1940年(昭15)退職し,終戦後は山口県に移り住んだ。1945年(昭20)12月18日没。(野中虎雄)
=協同組合人物略伝 【国内】
http://www.ienohikari.net/data/kjinryaku/meisai/fukui.htm