黒沢酉蔵 ( くろさわとりぞう )

1885年(明18)3月28日,茨城県常陸太田市(旧久慈郡世矢村)に生まれた。15歳で上京,21歳で京北中学を卒業したが,その間,渡良瀬川流域鉱毒難民救済運動に参加した。1905年(明38)母を失い,心機一転して北海道に渡り,札幌で牛乳請負販売を始めた。まもなく酪農自営に転じ,1915年(大4)札幌牛乳販売組合を設立したのが協同組合運動に入る契機となった。1918年(大7)札幌信用購買販売生産組合副会長,1920年(大9)有限責任札幌酪農信用販売購買生産組合副会長に就任,その後も各種農協連合会などの会長職をつとめるなどして,若くして農民・農協運動の先駆的指導者となった。また1923年(大12)には先輩同志らと北海道畜牛研究会をつくり,デンマーク式有畜農業の必要性を力説し,実践した。1940年(昭15)北連会長に就任,1941年(昭16)には北海道興農公社を設立して社長となり,北海道農業・農協の発展に情熱を傾注した。一方,教育面では熱心なキリスト教信者としての立場から,博愛主義に基づく学校づくりに力を注いだ。1942年(昭17)酪農義塾を母体に野幌機農学校を開いて校長兼理事長となり,さらに1958年(昭33)三愛女子高校,1960年(昭35)酪農学園大学を開設して農業および女子教育に貢献した。さらに政治面では,札幌市議会議員,北海道議会議員衆議院議員のほかに北海道開発審議会会長を永年つとめた。多彩な活躍の場はおもに北海道であったが,卓抜した識見と一徹な実行力で広く日本の農業・農協運動の発展に寄与した。著書に『国際収支と北海道開発』『酪農学園の歴史
と使命』『反芻自戒』『私の履歴書』などがある。1982年(昭57)2月6日没。(飯島源次郎)
=協同組合人物略伝 【国内】
http://www.ienohikari.net/data/kjinryaku/meisai/kurosawa.htm