「自らの力で雇用を創れる」のが協同組合

 再び「JA教育文化」から転載したい。北星学園大学経済学部の田渕直子教授が2012年の国連協同組合年について思いを書いている。あらためて思い起こされるのが「自らの力で雇用を創れる」のが協同組合だという信念である。昨年の賀川豊彦献身100年記念事業で一番気になっていたことが、バングラデシュのユヌスさんの言葉だ。「バングラデシュには雇用という概念がない」。つまり仕事をつくっていくことから始めなければならないという意味である。
 日本では若年の雇用がないことが社会問題になっているが、田淵教授は「自ら創ろうよ」と提言しているのだ。この言葉は協同組合陣営にとって非常に重要だと考える。(伴 武澄)

 “国際協同組合年”と“地域”
北星学園大学経済学部教授田渕直子

 拙著『農村サードセクター論』(日本経済評論社)では、大字単位の住民たちが自発的に動くことで、「住み続けられる地城」を創った事例を紹介した。
 この事例では、生活インフラ一般(道路、排水処理施設、児童館、ショッピングセンター、コミユニテイーバス)の整備・運営に取り組み、小規模ながらも医療・福祉施設を地域内に整備したことが、評価されよう。また、こうした施設を創ることで、新たな雇用を地域に生み出していることも、重要である。

 国連でも改めて注目

 さて話は飛ぶが、2012年は国連が定めた国際協同組合年である。本誌5月号冒頭で薄井寛JA総合研究所理事長が正しく提言するように、これは途上国のためだけの協同組合年でなく、先進国のための国際年でもある。さらに付け加えるならば、ILO(国際労働機関)が2002二年に「協同組合の促進に関する勧告」を総会で採択したことに、筆者は注意を払っていた。その後、ILOは途上国にも先進国に対してもディーセントワーク(いわば人問らしい労働)という考え方の普及に努めている。
 筆者は、勤務する大学で、学生たちに「農協に限らず、協同組合系組織の就職活動をする人は、何気なく、『国連でも協同組合が改めて注目されていることですし』と、面接で無理にでも話を振るように。2012年が国際協同組合年であることだけは、覚えておきなさい」と話している。
 何しろ、金融危機後の氷河期を下回るといわれる求人状況、しかも、わたしがいるのは北海道である。首都圏でも中部圏でさえ就職が困難であるというなか、わが大学の学生は、有効求人倍率0.4(2010年8月)の北海道に残りたいという選り好みが非常に強い。
 何とか、人事担当者の目に留まるには、何でも使おうという苦肉の策である。もちろん、固有名詞をあげるまでもなく、毎年、ご採用いただく、単協・連合組織が北海道では健在だという背景あってのことである。

 自らの力で雇用を創れる

 ちなみに、学生たちが今、いちばん欲しい協同組合は旅費の貸し付けをしてくれたり、相談に乗ってくれたりする「就活(就職活動)協同組合」だそうである。「就活協同組合が欲しいなら、自分たちで出資して作ったらどうなの?」と、少しいじわるなセンセイは、学生に問いかけてみる。
 そもそも農協は、高利貸しに対抗して信用事業を創り、保険会社の向こうを張って共済事業を立ち上げ、肥料を掛け売りし、代金を出来秋にコメを買い叩いて回収する米肥商のやり口があんまりであったから、購買・販売事業を始めたのである。大学三年生の秋から、就活だけに邁進しなければならない状況は、異常である。
 異常な状況の解消は、だれかが助けてくれるのを待つのではなく、「みんなの問題」として自ら動くのが、協同組合らしい考え方・行動の仕方だろう。

 さらに、一研究者として見るならば、先進国においても若年者の失業問題が国を問わず、喫緊の課題になっていることが、協同組合を再発見させたと言える。なぜなら、協同組合は自分たちで自らの地域に職場・雇用を創ることができるからである。西欧においては、すでに1980年代から平均10%以上の失業率に悩んできた。とくに若年者にとって、労働市場に入る門は「狭き門」である。
 これに対し、米国では1980年代初頭に10%近くの失業率を経験するが、その後はIT産業、新たな金融ビジネスモデルの隆盛によって、欧州よりもずっと低いレベルに失業率を抑えこむことに成功した。有能な若者はシリコン・バレーで起業し、ウォールーストリートで稼げばよいとされてきた。
 ところが、リーマンショックが突然、平均失業率を4〜5%から10%レベルに倍加させたのであった。グラフではまだ、2008年までしか示していないので、それほどでもないが、2009年度のアメリカの失業率は9.8%と、西欧をしのぐ水準になっている。
 これに対し日本の失業率は、1980年代には実に2%台、アジア金融危機以降の90年代後半〜2000年代でさえ4〜5%台と、一見、優等生ぶりを誇っている。
 しかし、年代別にみると様相はだいぶ異なって見える。今年度の完全失業率総務省労働力調査)の平均値は、5%強であるが、15〜24歳に限っては今年6月の水準が11%に達し、危機的といわれるアメリカさえも上回っている。しかも、かろうじて職に就いている若者の多くも正規職員ではなく、契約社員期間工・アルバイトといった不安定な状態が多い。

 共通の病を克服できるか

 かつて、農村地域から人口が流出したのは、都会には溢れんばかりの求人があり、農村には限られた職場しかなかったからである。JAは、農村において、その貴重な安定した職場を提供し続けたことを、もっと誇ってよいと思う。
 しかし、多くの親は給与の高く安定した、福利厚生もよい都会の職場を子に勧め、恋人も♪帰ってこいよー♪と。追分山で契った“約束”を思い出させようとしたのだが、泣く泣く涙をのんだのである。
 しかし、今は状況が相当程度に変化している。無理をして都会の有名大学に入れても、安定した職は保障されない。「あの人企業が」倒産するかもしれないし、企業が生き残るためには、世界中、どこに転勤させられるか、ほんとうにわからない。といって、農村にも職があるわけではない。
 2012年国際協同組合年は、途上国の貧困撲滅を念頭に置いてはいるか、同時に失業という共通の病に苫しむ先進国への処方箋でもある。先進国の協同組合が、自分たちの力で、自分たちの地域に、公共事業に代わる仕事を創っていけるか、その真価が問われているのである。(JA教育文化12月号から転載)