『医療組合論』第七章 衛生組合と医療組合

第七章 衛生組合と医療組合

衛生組合と医師会

今日全国の都市に於て、最も発達したる保健運動の一は、衛生組合の普及である。どんな貧しい労働者街に於ても、月十銭から十五銭の金を取りに来ない衛生組合はない。衛生組合の組織は、殆ど半ば強制的のものであり、その組合費の徴収方法も、一種の強制的傾向を持ってゐる。
普通選挙以来、衛生組合の争奪は政党化し、大阪市などに於てはその役員選挙に於て投票の買収行為まで行はれてゐるといふ状態である。恐らく、他の都市に於ても同じ事が繰返されてゐることだと思ふ。最近、ある都市の医師会がこれに目をつけて、衛生組合を法律によって認め、その組合費を数等に分ち、この衛生組合を基礎にして産業組合による医療組合組織と対抗せんとする方策が案出されるに至った。
医師会は此衛生組合と連絡をとり、衛生組合費によって、半ば生活の保障を受け、更に病人の出た場合に、薬価の収入によって、多少の利得を得んとするを考へて持ってゐるやうである。この考へは蓋し医療組合が発達した結果、開業医が考へ出した一種の名案であって、恐らく、将来の日本に於ては、必ず、衛生組合の組織も、またその組合費の徴収方法も国家によって法律化せられる事であらうし、また将来、予防医学の上から見て、必ず、重要な役割を衛生組合なるものが演ずるに到るであらうと思ふ。
衛生組合と予防的診療事業

最近東京医療利用組合は、東京市中野区の町衛生組合と連絡をとり、予防的各種の診療事業に奉仕した事があった。恐らく、将来の衛生組合は、かうした深い関係を、医療組合と結ぶに至るだらうと私は思ってゐる。さういふやうに進歩することによって、衛生組合も完全に発達し、医療組合も、予防医学的目的を達し得るのである。
青森県や、秋田県の如く、医療組合が著しく急速力を以て発達する地方に於て、今や老朽したる関業医諸君は、個人的自由競争の、ふるき地盤が守れなくなって、非常に恐慌を来してゐるといふことを私は聞いた。
さらばといって、衛生組合が直に、これらの医師諸君の生活を保護することは非常に困難である。これは、産業組合による利用組合を経て、漸進的に進むほか途はない。
今日まで、村立の病院が経営上に困難を感じ、産業組合による病院が漸く、活路を発見したといふことは、そこに探い意味がなくてはならない。
自由組合の合理制

医薬の事業は元来、技術の優劣が非常な影響を患者に与へるものである。村が、無理をして医者を雇った処で、その医者が拙劣なものであれば、村立病院は必ず失敗する。この点に於て産業組合は、官僚式でないだけに、やゝ自由な選択が出来る。村の病院が政治的に支配されるのと違って、組合には政党などいふものはない。
組合は、強制的に依るのと違ふから一組合一党主義であるといって差支ない。気に入らぬ者はどしどし脱退すればいゝのである。そこに自由組合の合理制がある。結合が自由であると共に、会員の気も揃ひ、医師と組合員の間に、あるぴったりした感情が通ふ。その力を以て衛生組合に奉仕する場合に法律による強制的な感じがなく、和気藹々(あいあい)たる自由奉仕の気持が根抵に流れる。さうした事によって、市町村に於ける衛生思想は、自主的に進歩する。
私は、かうした意味に於て、村々町々の衛生組合員は、むしろ別個に医療組合を作り、何等強制なくして自由奉仕の気持で衛生組合を援助すべきものだと思ふ。かうなれば、日本の予防医学の上に画期的な進歩が見られると思ふ。