『医療組合論』第一章 国民保健の危機

第一章 国民保健の危機

国民保健の危機

日本の死亡率は文明国としては一番高い。その理由に三つあらうと思ふ。
(一)国民の経済的収入の不足即ち一般的貧乏、
(二)一般無産階級の衛生設備の不完全、
(三)医療機関の偏在。
第一貧乏の問題は、東京市内に就てみるも、麹町区の乳児死亡率が千の出生に対し約七十であるに対し、本所区が千の出生に対し二百の死亡率を持ってゐるのを見てもよく判る。またこれを農村について見るも、数年前姫路市の死亡率は千に対し十四であるに対し、隣郡の加西郡は千について二十四の死亡率を持ってゐる。植民地も同様であって、台湾に住む日本の内地人は、熱帯地方に於てすら千について十二であるのに対し、貧困者の多い台湾の本島人は二十以上の死亡率を持ってゐるのであるから、第二の点が問題になる。即ち無産階級をどうじて衛生的にするかと云ふことである。日本が明治初年に比べて、少しも死亡率が下ってゐない主なる原因は、無産者の保健設備の欠除によると考へてよからう。

農民の死亡率激増

日本の農村に於て六十億円の借金があるために、明治初年に比較して話にならぬほど、農村が死亡率を高めたことは国家の一大問題である。大正十四年頃にはまだ医者なき村が、全国一万二千の村の中約二千九百九ケ村であったが、最近の農村恐慌のために医師が農村より退却して、昭和五年に於ては三千二百三十一村に医師がゐなくなった。
そのために福井県石川県の如き大正七、八年頃には死亡率が少かったに反し、最近は人口千に対し三十五以上の死亡率を見るやうになった。これを思ふ時に国家の保健を憂ふる者は、根本的対策を講じなければならぬと思ふ。そこに我らが産業組合法によって医療機関を経営したいといふ理由が起ってくるのである。

健康保険組合と無産者

政府はすでにこの事実に大いに考へる処があって、全国二百五十万の工場及び鉱山労働者に対し、強制的健康保険組合を設けてゐる。然し不幸にして、労働者の家族と農民と商業使傭人階級は全く除外されてゐる。内務省の発表によれば最近失業者だけでも五十万人であった。(一九三二年)これらの失業者に対する医療設備をどうすればいゝか。

国家財政と医療設備

人はいふかも知れない。この場合に於ては財団法人及救護法で結構であると。然し私は今日の如く労働階級が目覚めた場合労働階級や知識階級が、ベンベン頭を下げて、資本家の作った財団法人の無料診療所に通ふ道理がないと思ふ。そして今日の如く窮迫したる農村や都会に於て、財団法人を数千個作れといふことは全く無謀な事である。救護法についても同じことが云へる。一年間六億円費してゐる日本の医療費に対して、僅か八百万円やそこらの救護費から、何の医療設備を創出することが出来るだらうか。

実費診療所と医療組合
最近、実費診療所が各地に勃興する。けれども、私はその間に何等の互助的意識なく予防医学の普及が全然行はれないことを悲しく思ふ。もしこれを協同組合を基礎にする医療組合で行くならば、平素より予防設備が充分行はれ、組合員の衛生設備から完璧を期し得ると思ふ。ドイツの例を見ても解ることであるが、税金ばかりで保健設備をして居れば、国家の第乏と恐慌の際に、衛生設備が全く行はれない。欧洲大戦中ドイツ国民の健康を維持したものは全くその疾病金庫ではなかったか。ドイツの疾病金庫制度は、我々が主張する医療利用組合の形ちの変ったものでみる。即ち個人がこれに任意的に加盟し、政府がこれに補助を与へるのである。ドイツでは総人口の七割以上がこれに加盟して居ると私は聞いてゐる。
凡て協同組合を中心としたものは道徳的抑制があるために強制的健康保険の如きものより遥かに経済的に行はれる特質を持ってゐる。また財団法人の無料診療所より遥かに経済的なことは、私自身が永年財団法人による無料診療所を経営してきてゐる経験でよくわかる。

営利を離れた保険運動

そこで、日本の危機に際して国民保健の唯一の鍵は、如何にして国家財政の窮乏したる際に医療機関の完備を期するかにある。私は医療利用納合によるほか、今日の第乏を救ふ道はないと思ってゐる。
わが国に於て開業医の受けてゐる金額だけで年三億を下らないと、或る人は推定してゐる。山口県の社会事業指導村五箇村を調査してみると村税の約半額に達するものが、村民の医師に払ふ費用であるといふことがわかった。また、青森県の調査によると、開業医にかゝった場合に、一年一人あたりの支出は、約三十一円に上り、医療組合の治療費は一人あたり九円に当るので、医療組合に於ては開業医にかゝるより二十二円の節約が出来ることがわかった。
即ち医療組合運動によって、貧乏から来る病気を予防し、医療組合運動によって、病気から来る貧乏を救はうといふのが、必然的に生れて来た日本の新興医療組合運動の形態であった。そして、この運動が却って、裕福な農村や無料診療所の多い都市に出来ないで、飢饉に見舞はれて、窮乏に泣いてゐた東北六県に大運動として捲き起ったといふことに、我々は大いに注意する必要がある。
医師の数は著しい速度で増加し、医科大学は十七になり、医学専門学校はまたそれに劣らない二十五校になったに拘らず、日本の死亡率は著しい変化を見ず、毎年約千の人口に対して十人に近い死亡率を五十年近くも持続してゐるといふことは、どうしても医療制度を根本的に改造せねばならぬことを我々は知ってゐる。