賀川豊彦の『医療組合論』その2

 賀川豊彦が『医療組合論』の中で書いている「医療組合の現状」には驚いた。
「私達が、東京に医療組合会を作らうとする前、産業組合中央会で判明してゐた医療組合数は、確か十二三程だったと記憶してゐる。そこで私共は、それを基礎にして全国的調査をやったが、之が医療組合に関する全国的調査の嚆矢だったことゝ思ふ。その時の調査の結果は、全国医療利用組合協会の機関紙になってゐる「医療組合運動」の創刊号(昭和七年四月二十四日発行)紙上に発表しておいた。それによると、当時判明した医療組合の数は産業組合法による認可を受けてゐるもの二十八組合(内認可申請中のもの二組合を含む)同法による認可を受けざるもの八組合を算し、合計三十六組合であった」。
 自分で医療組合運動を起こして、自分で実態調査をして自分で記事まで書いたのが賀川らしさなのかもしれない。
 その4年後の1936年の調査ではなんとその数が90まで増えている。「目下認可申請中のもの四府県四組合であり、設立準備中のものは二十道府県三十組合(連合会をも含む)に及んでゐる。随って未設置にして全然設立準備さへなき府県は僅かに五府県のみである」
 岩手には11もの組合病院が設立され、青森と秋田は8組合、新潟7、愛知6、長野、三重、島根、群馬はそれぞれ4組合・・・。つまり現在のJA厚生連傘下の組合病院の原型はたった4年間の間に出来上がってしまっていたということである。まさに「燎原の火」である。