『医療組合論』第十五章 医療組合の組織方法

第十五章 医療組合の組織方法

医療組合の出発

医療組合は他の産業組合と異って、健康者を対象としないから、多数の組合員を持たなければ、一つの診療所、一つの病院を経営することは困難である。農民の如きは、人口千に対して十二人位しか病気してゐないから、戸数二百戸台の村で、一人の医者を雇ふことは困難である。たとひ雇ふた処で、毎日十二人しか患者がゐない。その患者が五十銭づゝ金を払ふとしても、月に百八十円しかない。僅か百八十円では医者と看護婦と、薬代と諸雑費を賄ふことは出来ない。そこで医療組合はどうしても、一人の医者を雇ふには、最少四百戸位の戸数がなければ無理である。
然し、こうした小さい単科の医者を雇はないで、さういふ小さい村は分院として、二日目に一度づゞ中央から医者に来て貰ふやうにすれば経費は僅かで済む。(勿論急を要する場合には別である。我々の経験によって、全科綜合診療所を設けようと思へば、どうしても組合員が三千人以上ないと、経済的に独立することは困難である。然し三千人の組合員を募集することはなかなか容易ではない。一人を募集するのにその費用が、どうしても約一円はかゝる。
そこで農村に於て組織しようと思へば、既存の産業組合連合会が骨を折って、その利用組合(または利用部)の定款を変更して、始めるのが一番簡便な方法である。然し都会は事実非常に困難であるから、更に大いなる努力が必要である。然し、地方の衛生組合や自治体を動かして組合を募集するなら、それに越したことはない。千や千五百の会員で、綜合診療所を始めるなら、きっと失敗する。勿論、農村に於ては、千戸加入戸数があれば五千の人口があるから、やゝ纏まった診療事業を開始することが出来るだらう。しかし、それでも危険な事は事実である。会員を募集する際には、政党を超越し、宗派を超越し、町でも村でも全部が加入するやうにすることが必要である。

組合の財政

持株は多いほどがいゝ。また一株の金額も十円以下でやることは頗る困難である。医療組合には、土地の開業医や医師会の反対が多いから、医師の広告を貰ってゐる地方新聞は、思はざる処から反対をする。またその他にも、思はざる処から反対が出てくるものである。それで決して無理をしない組織方法が一番よい。あまり借金を基礎にして計画してはならない。もちろん、東京の常磐生命保険の如きは、親切に、全然営利を雌れて、社会奉仕的に金融をつけてくれるけれども、土地建物位は、会員の出資金で整へ得るだけの準備をする必要がある。
献身的精神

組合の理事者は、献身的に努力する人が集まる必要がある。殊にこの運動は、病人や死人を取扱ふから、奉仕的精神を持ってゐる人でなければ決して務まらない。常務者の場合に於ても同じことがいへる。患者の大部分は神経衰弱にかゝってゐるから、常務者は言葉叮嚀に、奉仕的態度に出るやうなものでなければ決して成功しない。殊に、医療設備は消費経済であるから、少し注意しなければ浪費に陥る。
計画の常識

病院の科目は、内科を主とし、外科、耳鼻咽喉科、眼科、婦人科といふやうな順序で置くべきだと思ふ。婦人科の如きは病院を持たずに診療所に置いた場合、必ず失敗する。これは内務省の統計に於ても明かに示されてゐる。内科の如きは、内臓器官が多いから、病人の数も従って多い訳である。外科の患者の多いのも同様の理由による。然るに婦人科の如きは、患者に於ても恥かしい気持があるので、なかなか初めからやって来ない。たゞ産科を設ければ、経営は持つ。
病人の性質上、季節と気候が非常に影響する。それで、経営を持たさうとすれば、どうしても病院を建てる必要がある。東京医療組合の如きは、病院を建てることによって、初めて経済的に独立することが出来た。病床も医員一人に対して五床位を持たなければ、経済は持たない。薬価をきめるに当って、必ずしも医師会と競争する必要はないが、大きな都会に於ては医師会の規定通りとれば、患者は来ない。然し、医者のない農村に於ては、医師会の規定通りとっても、患者は来る。医師会と衝突を避けるためには、決算後の払戻しを計算に入れて、医師会の規定通りとってもよい。但し、払戻しの時期を早めて、利益を按分比例で返してもよい。もしもその金を無料診療の方にまわし得るなら、なほ幸ひである。
迫害に対する用意

組合を設立するに当って一番うるさいのは、開業医及び医師会との衝突である。もし医師会の規定通りに経営が出来るなら、それに越したことはない。また開業医をも組合医に加盟せしめ得るならそれに越したことはない。然し大抵の場合それが不可能であるから、当分の間、日本に於て組合に対する医師会の迫害が加はるだらう。それで、或組合は県庁の許可を得るのに一年以上かゝる。それを隠忍してやるのでなければ、真の組合は出来ない。
医局の組織

善い医師を迎へることは頗る困雑であるが、これは犠牲的な院長に凡てをまかして、院長によって統制して貰ふのが一番よい。医学校出の医師は、個人医学だけしか知らないから、社会医学をよく理解してゐる医師を中心にする必要がある。医師に対しては、組合が払へるだけの報酬を支払ふのみならず、組合員は感謝をもって、医師及び看護婦などに敬意を払ふ必要がある。さうしなければ、医師が長続きしないで、病院に安定を欠く。

輿論と官憲

産業組合は官庁の監督を受けるから、私立病院より遥かに面倒臭い届出や規則に縛られてゐる。それで、事務費がおのづから嵩む傾向を持ってゐる。で、能率よき事務の経営をしなければ、事務所のために欠損をする傾向がある。勿論、大きな病院組織にすれば、さうした損失を極小にすることが出来る。それで、事務費を出来るだけ節約することを案出しなければならぬ。帳簿などでも、信用組合の帳簿係が合せて記載してくれるとか、別に人を雇ふ必要がないやうにすれば、非常に楽にすむ。
医療利用組合は、県庁に於ては、産業組合課と衛生課の両方の監督を受け、主務省に於ては、農林省内務省衛生局の両省の許可を得なければならぬから、許可を得るのに頗るひまがかゝる。殊に、県庁の衛生課や内務省の衛生局は、医師会と緊密なる関係を持ってゐるために、急進的な医療の社会化をよく理解してゐても、医師会に圧迫され勝ちであるから、医療組合運動者は、その点よく理解して、県衛生課や内務省衛生局の人々に同情し、彼等を資本主義側とのみ考へないで、大衆運動の圧迫によって、医師会を先づ改心させ、医師会の圧迫が県或ひは内務省当局に加はらないやうに努力しなければならぬ。
殊に、健康保険の契約をしてゐる内務省社会局の如きは、医師会にのみ国営健康保険を委任出来ないことを知ってゐても、組合病院がまだ勢力が弱いために、組合と直接契約を結ぶ段に達してゐないことを考へてゐないらしいのである。
そのために、健康保険医が組合病院の医員になった場合、地方の医師会は、その医員の保健医たる資格を奪ふことがあるけれども、社会局としては、今まで何も出来ずにゐる。昭和九年の春、社会局長官は医師会をして、さうしたことをなさしめないやうにするとはいふたけれども、医師会の決議によって、組合病院の医師の保健医たるの資格を奪ふ場合には、県知事が、その決議の取消しを命ずるまで、何とも出来ないことになってゐる。そこにデリケートな問題が伏在してゐて、県知事をして、県医師会の決議を取消さしめるには、輿論の喚起が必要である。然るに、地方の新聞紙は、医師の広告費をあてにしてゐることが頗る多いので、医療の社会化に反対する傾向を持つ場合がある。そこで止むを得ず、新聞紙をあまりあてにしないで、演説会によるとか、県会の決議によるとかして、組合病院が、健康保険を兼ね得るやうに運動する必要がある。
かういふ段取りになれば、農民健康保険が出来た場合でも、容易に、組合病院が健康保険の仕事をすることが出来る。
将来、市民及び農民の任意的健康保険が出来るにしても、恐らく自主的訓練のある医療組合によらなければ、患者の満足するやうな健康保険は経営出来ないであらう。それで、普通選挙の国である日本は、民衆をよく教育して、之を議会に反映せしめればよいのである。

非組合員の診療

なほ、一村全部が組合に這入らない場合、然も、その村に医者がゐない場合、如何にしてその非組合員を診療するか、といふ話がよく出るが、その場合には、医療組合後援会といふものを作り、別会計にして、別に県庁に届出で、そこで診療すればよいと思ふ。そして、もしもその人が貧しきが故に組合員になれない場合には、信用組合を通じて、医療組合資を払込ませることも一つのその手段である。
また、貧しくして、医療組合の薬代が払へない場合には、後援会が、その金を一時立替へるとか、後援会の金をもって、無料にしてあげるとかすればいゝ訳である。
然し、医療組合の根本理想が、無産者を愛し、貧しきを労はるといふ点にあることを忘れないで努力して居れば、多少最初の経営が困難であっても、必ず認めらるゝ日が来るといふ確信をもって進む必要がある。いろいろの圧迫や誤解は、要するに組合精神が解らないからするのであって、組合精神がわかってくれば、問題は簡単に解決する。
医療国営と医療自治体の一致

斯く農村に散らばってゐる医療組合は連合体を組織し、ベッドを交換し、薬品諸機械の共同購入をなし、共同の結核療養所、共同の高原療養所、共同の海水浴場、共同の温泉場を持つやうになれば、もう占めたものである。また困難な外科手術の場合には、医療組合連合会を通じて、東京の医療組合より外科の医者を招き、そこに於て手術をして貰ふやうなことも出来る。かうなれば、地方に居って、中央の大博士と連絡がつくやうになり、こゝに於て医療の国営は、医療の自治体を通じて完全にすることが出来る訳である。