『医療組合論』第四章 農村の無産化と医療組合

第四章 農村の無産化と医療組

農村の窮乏

何といっても、日本は、家族制度の国である。都会で失業した場合に、村へ帰って行く国である。このことを認識しなければ、日本の失業問題は解決しない。
昭和二年(一九二七年)の不景気に日本に於ては数百万の市民が、農村に復帰した。昭和元年、日本の総戸数は、千百四十一万戸であったものが、昭和二年に於て、七十五万五千戸減退して、一千六十五万五千戸になった。その代り、農村の戸数は、五百五十五万五千戸から(昭和元年)五百五十六万一千戸に増加した。
農村に於て、僅かしか増加してゐないが、これは、都市の失業者が家を畳んで、農村の大家族主義に復帰したものと考へてよいと思ふ。これを総戸数に対する農戸総数の割合についてみるに、昭和四年に四割八分七厘であった戸数の比は翌年は五割二分二犀となって、千戸に対して三十五戸一年間に農家が増価してゐる。(昭和四年十月農林省農務局発表本邦農業要覧二十三頁参照)
これを見ると、日本は不景気になると、農村に頼る傾向を持ってゐる。ところが、この農村の負担の荷重が、農村に於ける経済的破綻を生み、こゝに、農村に於ける非常時が醸(かも)されたのであった。農村は大正九年に九億足らずの負債を持ってゐたが、昭和五年には、六十億円といふ莫大な負債を持つやうになった。このために農村の健康状態は徹底的に悪化した。

農村擢病率の騰昇

この農村の無産化は、都市の擢病率と反比例して、疾病の騰昇を見るに至った。即ち、その近郷の都市に於ては、死亡率が減退するに反比例して、農村は、都市の五割乃至十割に近い死亡率の増加をみるに至った。即ち、健康保険を持ち、無料診療所を持ち、下水道上水道を完備、寄生虫を駆除し、害虫を去り、訪問婦制度を採用し衛生組合をつくり、完全なる救護と、方面委員制度を組織したのに反し、農村は、経済上の疲弊のために、一つとして、かうした特典を持ってゐないのである。しかもこの農村の無産化は、昭和二年以後、一層激甚となり、昭和四年は干潮のどん底に沈み、約三百の村から医者が引上げるやうになった。昭和三年の末には全国一万一千の村の中二千九百の村に医者がないといはれてゐたものが、昭和五年には三千二百三十一の村に、医者がないと報告されるに至った。
その結果昭和七年より宮内省の御下賜金によって、農村の巡回治療が始まった。

医療統制と農村

然し、昭和十年になれば、この巡回治療班も中止となる訳である。その後はどうなるか? 農村の医療費は、全収入の二割八分を占め都会の労働階級の収入に対する医療費の比例が、七分五厘であることゝ比較すれば、約四倍の差になってゐる。即ち、農村で、一旦病気すれば、田畑を売り、家を失ひ無産者として、都会の貧民窟に住入するほか道がなくなるのである。然るに、かうした時でもなほ、農村の医師は、倉を建て、貯蓄を増し、息子等を大学に送る特権を持ってゐるのである。即ち、一方は無産化の進行に悩み、他方では、有閑階級を生むといふ皮肉な現状を呈してゐる。こゝに、農民の要望が、期せずして、医療組合に集まる理由が存在する。今まで、農民は、医療費に対して、どれだけ支払っていゝか判らなかった。それは、村税を通じて、医療設備を行ふ場合でも同様である。然るに医療組合に於ては、患者が医者を抱えるといふ組織になるため、彼等は安心して、農村に診療所を設ける運動を始めるのである。
今迄の関業医であれば、中央病院と連絡なきため苦しんだが、今では、地方の診療所に行くことによって、同時に中央の組合病院と連絡が保たれ得るといふ道を発見した。
実際かうなってこそ、初めて、医療の国営が実施される近道を発見したといふことが出来よう。

病 名        人員    検査人員ニ対スル各疾病ノ千分比

寄生虫      一〇〇、九九四  七二九・四
口腔及咽頭の疾患  五九、二七九  四二〇・九
トラホーム     一九、九四八   四四・一
耳目の疾患      七、六三〇   五五・一
呼吸器の疾患     五、三七六   三八・八
消化器の疾患     三、九四四   二八・五
皮膚の疾患      三、六一九   二六・一
循環器の疾患     三、〇八二   二二・三
奇形及不癈疾     二、一一三   一五・三
全身病及異常体質   一、九二三   一三。九
神経系の疾患     一、六九四   一二・二
泌尿器及生殖器の疾患   九九八    七・二
結核性の疾患       七九六    五・七
運動器の疾患       七九四    五・七
花柳病          六一五    四・四
地方病          六〇二    四・三
腫瘍           三六六    二・六
外傷性の疾患       三三九    二・四
精神病          二七〇    一・九
急性伝染病        二六〇    一・九
             五八    〇・四
不明の疾患        四二七    三・一