『医療組合論』第五章 医療国営論と医療組合

第五章 医療国営論と医療組合

医療社会化と国営

或人は医療国営をのみ考へて、医療国営の基礎としての医療組合運動を考へないものが頗る多い。税金による医療国営といふものにはある限度がある。財政上の立前からいって、医療国営は、医療組合の形式をとるほか道はないのである。即ち、財政的資源を国家と組合と個人の三つから収吸し、それによって、無理のない医療財政が確立するのである。
またこれを経営上からいっても、官僚的な医療行政は多くの弊害を持ってゐる。医療組合などでも、組合的制裁があり、また健康保険組合などでも、健康にして病気にかゝらないものに対して、幾分かの払戻しをするといふやうな健康奨励法をとれば、偽病をつかって、保険金を詐取するといふやうな弊害はなくなるのである。この偽病によって、保険金を詐取する方法は、官僚的な保険組合にはまことに多い。よってこれを管理するならば、その弊害が除かれる。それであるから、たとひ医療国営になっても、組合的経営を無視して、経済的に経営することは出来ない。

国営への第一歩

斯く考へると、将来医療組合運動は、国家の経営せんとする健康保険の基礎となり、その自治的訓練によって作り上げた堅固なる基礎の上に、国家は安んじて、健康保険制度止を施行することが出来るのである。その時に至って初めて、医師会の諸君は、何故に我々が今日多大の犠牲を払って、医療組合運動をなしつゝあるかの理由を発見するであらう。我々は医療の社会化を目的とし、我々は資本主義的搾取制度を加味してゐる今日の開業医制度には反対するけれども、技術者の団体としての医師会には、何等反対すべき理由を発見しないのである。将来、医療組合が発達して、庶民の健康保険組合の基礎となる日が来れば、今日の医師会は、我々の医療組合と提携して、むしろ速かに、国営健康保険組合の普及化に努力すべきではなからうか?
まことに医療組合の前途には多くの問題が横たはってゐる。之によってのみ、日本の医療の社会化が期し得られると思へばその使命が如何に重大であるかを、我々は深く感ずるものである。

英国の失敗

英国の有名な社会事業家レスター女史が、私にこんなことをいったことがある。「英国の健康保険は失望です。それは、医者が保険金の安いことを口実にして、患者を虐待するからです。ある貧しい患者が、個人医者の処へ行って裸になりました。裸になった後、健康保険に入ってゐる証拠に札を見せたのです。すると、どうでせう、その医者はすぐ、再びその患者にきものを着せて、次の患者を診たさうです・・・だから、貧しい患者が組織体をもって医療組合をつくれば、医者はこんな横柄な態度に出ないと思ひます。」
レスター女史の経験によっても、医療国策といふものは、一種の組織体を持つべき必要がある。たど漫然国家が、医師会に全部を委ねて、患者が個人として、医師会の規定通りに服従しなければならないものであるならば、医師会が横暴なる独占的な態度に出た場合に、これに対抗する途がないではないか。現に日本に於ては、医師会会員に対して、健康保険医たる特権が与へられてゐるに拘らず、秋田県能代の医師会も、秋田市の医師会も健康保険医であったものが、医療組合に従事するや否やその権利を剥奪したではないか。何故かゝる横暴なる態度を、内務省及県当局が無視するのであるか。契約といふものは対等な地位に於て結ばなければ有効ではない。
医師会が個人としての患者を、団体として決定した規定によって金銭を要求するのは、必ずしも妥当ではない。医師会を認めるならば国家は当然医療組合を認めて然るべきである。医師会のみの規定を尊重して、無産階級の生活権を脅かすのはよろしくない。

天降り的医療政策

最近内務省は医療国策として、医師なき村々に医師を配給しようとしてゐるが、天降り的の医師は、往々にして、村民の要求する親切な医師でない場合が多い。何故に内務省はすゝんで、地方農民が組織せんとする医療組合を応援し、医療組合に補助金を与へて、医者なき村に医療組合を普及せしめないのであらうか。貧しくして病み、病みて貧しくなり級数的の無産化を助長する開業医制度を社会化しなければ、無産階級は救へないではないか。
将来健康保険を、農村にまで普及する場合に、英国の覆轍を踏まず、日本に於ては、医療組合を基礎にして、医療国策を樹立することを、私は要望するものである。