31 「つゆ草の招宴」(1948年10月号)

 初秋の野道小溝の側に露の玉を抱いたつゆくさが、私を甘露の宴に招待してくれた。太陽はまだ昇らず、松虫は昨夜からセレナーデを継続していた。
 かやすがは縁の長細い葉を抛物線形に垂れ、かやつり草は清爽な姿を清水に写していた。密生したはこべは弾力性を持つた羽根蒲団のように、畝道を蔽い、雀のかたびらは薄絹で作つたうすものをかぶつて招宴に参列していた。おばこもたでも水そばも露草の招待を感謝して集つて来ていた。「クローバ」も萱も母子草も遅れ馳せにやつて来た。蓬も宴席の隅つこに、首を延ばし荒地野菊までが、今日は愉快そうに、会場の中央に頑張つていた。
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 宴会に招れなかつたたにしは、溝の底の沼の中から顔を突き出して、舌をなめずり廻して皆が手に持つている甘露の盃を凝視めていた。くつわ虫の指揮で管絃楽が始められると、松虫、鈴虫、くつわ虫が美しい交響楽を奏し始めた。それらは凡て天を讃美し、生命の秘義を唄つたものである。
 序曲のまだ終らない中に紫色の上衣に紫色の裳裾を着けた、招宴の主人公露草が黄色の頸飾をつけて、皆に黙礼した。すると招待せられた会衆は総立ちになつて、天よりの甘露を感激の声を放つて乾杯した。
 小溝の中ではめだかの舞踊が始まつた。東天は黄金を溶かしたように、アウロウが太陽に先駆した。その時、近くの森の蝉が朝の礼拝楽を奏し始め、それに呼応して、田圃の蛙も今年最後の吹奏楽を初めた。野路は急に賑やかになつた。
 露草は、その間別に何にも発言しなかつた。たゞ天与の甘露を思う存分、飲むようにと皆に勧めた。
 太陽が出た。すると、小溝の中のめだかの舞踊は、すぐ止み、萱、菅、クローバーは、まぐさ刈る小僧の足音を聞いて急いで姿を消してしまつた。
 鐘の音が続いて鳴つた。宴会場は大混乱に陥つた。然し、さすがの草刈小僧も露草の艶麗な姿を見て、それを苅り取ることを躊躇した。
 露草は、草苅人夫の姿を見送つて、私に少し残つた甘露の盃を差出した。太陽も、我等の仲間に入れてくれとやつて来た。私はそれを太陽に捧げた。太陽はすぐそれを呑み干し、今日の日課を続けるために西に急いだ。
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 露草は太陽を見送つて後、相変らず、沈黙の儘、クローバの苅取られた所をみつめていた。蟻が訪問してくれた。露草は懐中に隠していた香気のある蜜を取り出して、蟻に渡した。すると、蟻はよそから運んで来た露草の雄芯の花粉を彼女にうやうやしく渡して立去つた。それを貰つた彼女は、嬉しそうに破顔一笑、雌芯の入口の戸を閉めた。露草の沈黙は続いた。彼女は野路を過ぎ行く人を迎えては見送り、世の毀誉褒貶を超越し、朝毎に私を甘露の宴に招いてくれた。私もそれには満足した。
 私は秋の来る度毎に、露草の一族に歴代招待を受けている。彼等は、野路に起る凡ての苦難を克服して、相変らず天恵の甘露に感激の生活を送つている。(一九四八年十月号)