『死線を越えて』の発刊(2)
『死線を越えて』は改造社の処女出版であった。大正10年10月に初版が出た。
「我国社会運動の唯一の新人賀川豊彦氏が、一大感激の結果、堂々1千枚の社会小説はなる。社会改造に全身を投げ出せる一青年が、炎々火の如き恋の苦悶を排し、滔々たる唯物主義の世相を痛憤し、又旧道徳の父との止み難き争闘を排して、一念発奮、富に赴くを捨て、真実の世界に生きんが為め、一生を貧民窟教化に捧ぐという聖にして雄々しき、そして、万丈の波乱に運命を弄ばされたる、我国最大の思想家を主題とす。遮莫著者も惨風悲雨の10年を、神戸貧民窟に捧げたる、我国唯一の貧民教化の体現者で、その行逕は篇中の失恋思想家を髣髴とせしむるのがある。此の記憶すべき新人の一大心血を濺げる社会小説が、天下に歓呼さるるは当然のことであって、本書を一読するによりて、初めて社会諸相の解按を断じ得るべきである」
という広告文であった。初版5000部は忽ち売りつくし、12月には8版の印刷にかかった。
「明治大正に亘って、本書ほどの感激を与えた小説はあるまい。東京の某小学校好調は、本書によりて賀川氏の為、人を敬慕崇拝し、為めに全財産を抛って数百部を購い、洽(あまね)く知己に頒ちて、愛の教育、熱情の感化を本書より世に求め、又水戸の一青年は本書によりて、著者の博大の愛に感銘し、慈母を離れて遠く神戸に赴き、賀川氏の義弟となりて、一身を社会改造の為めに投げ出し、分断の雄片山伸氏は同じく本書によりて賀川氏の感激的生活を知悉す、その敬虔の態度、その熱烈なる人道的貢献に思わず落涙し、その赤熱の活動ぶりを仰望するは、本書が出版2カ月ならずして16版を売り尽したる実績によりて批判さるべきである」
という広告文もかかげられた。
各新聞は、この怒涛の如き売れ行きに対して、競う手て評を掲載した。中でも「時事新報」は長文の批評を載せ、その中に
「『私は人間を愛する。人間を崇拝する』と栄一はいう。この人間性に対する無限の愛と信頼とは、まことに聖者の心である。この心を抱く栄一は、彼等に対して、些(いささか)の優越意識をも有っていない。憐れむとか恵むとか教えるとか、導くとかいう気持ちを持っていない彼は、彼等下層民の中に交わって完全にその一人となり、十分に彼等の心を体得している。而して彼等を彼の中に活かすと共に、彼を彼等の中に生かしている。その心を私は有り難く思う」
と激賞した。
(続く=横山春一著『賀川豊彦傳』から転載)