『乳と蜜の流るる郷』について 武藤富男

 賀川豊彦の小説『乳と蜜の流るる郷』は『家の光』昭和9年1月号から10年12月号まで24回連載されたものを単行本として昭和10年11月6日、改造社から発行された。農村問題の解決には立体農業と協同組合による以外に途がないことを主張し、その実行の具体的な方法手段を教示しようとしたものである。

 協同組合運動と立体農業とを鼓吹することにおいて、『幻の兵車』以上の迫力をもっており、筋の運びも変幻自在で、賀川の想像力がもっとも自由奔放に駆けまわり、目まぐるしいばかりである。47歳の時において、賀川のロマンチィシズムはその絶頂に達したといいうるであろう。

 次にそのあらすじを述べよう。

 福島県会津の寒村に育った青年田中東助は、繭の安値と旱魃のために、一家の生活の立たないのを見て、信州上田に養子に言っている兄彦吉を頼って行く。汽車賃がないので何日もかかって歩いて行くが、山小屋に泊めてもらって、杣人から木の実の食べ方、その効用を聞かされる。

 上田の彦吉の家は魚屋兼料亭であり、東助はここで働くことになったが、出入りする春駒という芸者に惚れられる。春駒をかかえている芸妓屋、鶴屋の女将お竹は春駒を養女にして東助をめあわせて後をゆずりたいというが、東助は福島県の村を救いたいからといって応じない。兄の店のため魚の行商をしながら、浦里村の信用販売利用組合に出入りするようになり、農村経営の仕方を学ぶ。東助はこの組合に鮮魚部を設けて、そこに雇われて働くことになった。
 彦吉は東助を鶴屋の養子にしようとしてすすめるが、東助がきかないので彼に乱暴をする。東助は春駒にとりなされて鶴屋に連れて行かれ、女将に会う。女将は東助の話を聞き、産業組合運動に賛成し、そのため自家の身代を全部投げ出そうと申し出る。東助は夜おそく鶴屋を辞し浦里村に向かうが、途中で春駒が悪人たちに誘拐され、東助は警察に留置される。
 そんなことから東助は兄のもとを去って東京へ出る。金をもっていなかったので、彼は歩いて小諸まで行き、そこで親切な医師の家に泊めてもらい、医療組合の話を聞く。そこで道連れになったルンペンと汽車にのり東京へ出る。その男に教えられて講演時の消費組合を訪ね、配達人に雇われる。品物を配達しながら、彼は消費組合の実情を勉強し、組合員のインテリたちと知り合いになる。警察の手入れによって消費組合の従業員たちは検束されてしまい、東助は一人でそのあとを引き受けたが、肺炎になって中野組合病院に入院する。ここで彼は医療組合のことを学ぶ。
 病癒えて退院した東助は帰郷しようと思い、組合員の家の女中からもらった外套を質入するため中ノ郷質庫信用組合を訪ね、そこで信用組合の実体を経験する。ここで5円の金を借りて表に出たところで、彼は春駒に会う。春駒は誘拐されて玉ノ井に売られ、産業青年会を頼って脱出してきたところであった。産業青年会の事務所で東助は春駒と語り合った。春駒の本名は鈴子といった。
 産業青年会の主任が産業組合中央会に行くというので、東助と春駒はいっしょにここに行き、初めて、中央会の威容を見て産業組合運動に自信をつける。東助は南会津の村に組合を作るようにここで勧められる。鈴子は勉強して産婆になって東助の村に入るという。二人は夫婦になる約束をする。
 帰郷した東助は我が家の窮乏を見て胸が暗くなる。母はリュウマチでねている。妹の一人は東京に売られ、も一人は女工に行かされ、小学校を卒業した弟は桧原の工場に父と働きに行っている。九つの妹と四つの弟が家に残っているという状態である。
 村全体の疲弊のどん底において東助は村の青年男女を集めて、立体農業の話、産業組合の話、有畜農業の話、信用組合などの話をし、協同組合運動を起こそうとする。
 東助の努力はある時は報いられ、ある時は裏切られ、悪人の妨害にあって事業は挫折したり思わぬ助けがあって成功したりする。その間に父は雪崩で死んでしまう。鈴子は賛育会病院に入って産婆の勉強をつづける。
 農村の窮乏を訴えて救済を請願するため、東助は南会津の代表者とともに上京して政治家に会見したついでに、鈴子に会い、二人で千歳村祖師谷の武蔵野農民福音学校を訪ね、ここで胡桃の苗木を分けてもらい、山羊のことを勉強する。
 東助とその同志の努力になって大塩村産業組合が設立される。信用組合と購買組合とができたのである、東助は専務理事となった。
 兄彦吉の電報で上田に呼びよせられた東助は、ちょうどその時起こった銀行の取り付け騒ぎを見る。鶴屋の女将お竹は信用組合に預金していたので、その金だけたすかったので、いよいよ産業組合シンパになってしまう。
 鈴子は産婆となって大塩村に来る。東助と鈴子との結婚式は産業組合式で行われる。東助を恋していた高子という娘は、その時、世をはかなんで家出をしたが、村の人たちが見つけ出して自殺を思い止める。鈴子は自分が汚れた女で、子を産むことができないから東助を高子にゆずるという。東助は鈴子との誓いを守ってこの申し出を取り上げない。その頃、村に伝染病がはやる。鈴子は看護婦として伝染病患者の看護に献身する。
 鶴屋の女将お竹は上田を引き払って大塩村に移り住み、その財産をささげて東助の運動を助ける。東助は新見栄一や藤島農学士を招いて、農村産業組合学校を開く。妨害と戦いつつ、彼は運動を進めるのであった。
 鈴子は梅毒のため失明するが、東助の愛は変わらない。東助はお竹と鈴子とともに東京に出て松沢に住む。鈴子は中野の組合病院でマラリヤの注射を受けた結果、眼病が治って見えるようになる。
 産業組合の約束手形偽造事件が起こって東助は嫌疑を受け、福島の未決監に収容されるが、南会津の悪人たちの仕業とわかって釈放される。東助はこの事件で自分を苦しめた平泉又吉の父又平のために、力を貸してやり、家屋敷の人手に渡るのを食い止める。
 かくて南会津の地に立体農業は行われ、協同組合組織は作られ、桧原湖畔に楽土が現れたのである。(賀川豊彦全集17巻、解説から転載)