大宅壮一の賀川豊彦素描 加山久夫

 大宅壮一は少年時代に賀川豊彦と出会い、彼からキリスト教の洗礼を受けている。彼はしかし、『「無思想人」宣言』において、知識人の「帽子」としての思想を捨てるとともに、宗教についても、「無宗教で生きていくつもりである」と宣言し、つぎのように述べている―「宗教の力、信仰の熱度とともに、イントレラント(非寛容)な性格は原則として高められていくものである。それを抑えていくことが〝共存〟の必須条件である。だが、他宗他派に対して極度にトレラント(寛容)な宗教は、もはや宗教でなくなっている場合が多い。そこで〝共存〟のための最上の条件は、宗教そのものをすてることだということにもなるわけだ。」(一三一頁) では、大宅壮一は、いったい賀川豊彦をどう観ていたのであろうか。興味のあるところである。両者は近隣に住み、終生互いに交流があったようであるが、賀川が大宅をどう見ていたのかについては、これまでのところ記録は見出されていない。しかし、大宅が賀川について書いたものはいくつか残されているので、それらを本稿で紹介することにしたい。

 大宅壮一の賀川豊彦素描