(18)−協同組合が示す持続可能な経営

 次に私がJA職員向けの雑誌「教育と文化」2009年9月号に書いたムハマド・ユヌスさんと賀川に関するコラムを紹介します。

 協同組合が示す持続可能な経営

 2009年3月、賀川豊彦献身100年でノーベル平和賞受賞者のバングラデシュムハマド・ユヌスさんを神戸市で開いたシンポジウムに招きました。2008年9月のニューヨーク発の経済危機以降、ユヌスさんのマイクロファイナンスやソーシャルビズネスがにわかに注目を集めています。利益の最大化を求めてきた資本主義の対極にあった社会主義はすでにほとんど消滅しており、人々が新たな経済のパラダイムを模索し始めているからです。
 マイクロファイナンスは1970年代、ユヌスさんがバングラデシュチッタゴン郊外の農村で始めた小規模金融です。貧しさゆえに高利貸の犠牲になっていた農村婦人に千円単位の金を貸しました。バングラデシュには雇用という概念がありません。特に農村は自ら機織りをしたり、鶏を飼って卵を売ったりしなければ生活ができないのです。せっかくの売り上げが高い利子に消えていました。ユヌスさんは低利でお金を貸しました。条件は子どもを学校に行かせるなど生活の向上を目指すことでした。
 小さな村から始めたマイクロファイナンスは今ではグラミン(農村)銀行となり、その発想は途上国だけでなく先進国でも広がりを見せています。ユヌスさんの最近の関心は、ソーシャルビズネスです。配当のない会社だ。「見返りのないものに誰が投資するか」と反対された。ユヌスさんの考えは違いました。
「金持ちや企業は社会貢献と称して多額の寄付をしている。尊いことだが、寄付は1回限り。その金額を投資すれば利潤が上がり、その利潤を再投資することで資金は持続性を持つのだ」
 数年前、フランスの食品会社ダノンが興味を示し、バングラデシュで貧しい子どもたちの栄養食としてヨーグルトの合弁製造が始ましました。会社の目的は子どもたちの健康です。続いて仏ヴィオリアとミネラルウオーターの製造販売が始まっています。この会社も健康が目的。独フォルクスワーゲンには洪水時にエンジンを船に乗せ替えたり、乾期にポンプに使えたりするグラミン車を開発してほしいと要請しています。目的は災害復帰である。金もうけでないそれぞれの目的を持つのがソーシャルビジネスなのです。
賀川が90年前に那須善治に話したこととそっくりです。ソーシャルビジネスと協同組合とは法人のあり方も違いますが、貧困からの脱却を目的とし、助け合いを手段とすることにおいて変わりはありません。
賀川の協同組合は神戸新川の貧民窟や関東大震災後の本所から生まれました。購買組合(生協)を創設し、組合の資金で質屋(金融)を起こし、学校を経営し、病院を建てました。戦後のJAの共済事業や全労災も賀川に端を発する。人々の出資金は直接の配当として個人には還元さませんが、何倍もの価値となって社会や地域に還元されるのです。
経済を金もうけの手段にせず、利益は社会の福利厚生のために使うべきだというのが、賀川の持論であり哲学です。
今、協同組合に求められるのは賀川やユヌスさんの発想です。日本ではかつてのような貧困はなくなりましたが、逆に「助け合い精神」はどんどん退化しています。協同組合は元々、「一人は万人のために、万人は一人のために」というロッチデールの精神から生まれています。弱肉強食の時代でもありましたから、人々は官に頼らず助け合って自分たちの生活を守る必要があったのです。自助と互助です。今は国や自治体の責任が問われるだけで、地域が自助する精神を忘れてはいないでしょうか。
2008年来、再び「貧困」が社会を象徴するキーワードになっています。かつての貧困ではありませんが、少子高齢化で日本経済が縮小に向かい、この10年で勤労者所得は2割も減少、格差もかつてなく広がりつつあるのです。
しかし、日本には農協300万世帯、生協2200万世帯といわれる層の厚い協同組合の地盤が残っています。信用事業、共済事業を含めれば巨大な資金も抱えています。協同組合が本来持っているはずの目的を忘れ、ヒト・モノ・カネが眠ったままでいることです。監督官庁があるとはいえ、それぞれの組織が縦割りであってはいけない。生産から流通、消費、教育、医療、保険まで生活に関わるあらゆる事業が互いに協力しあえばいい。企業や官依存ではなく、地域の協同組合こそが経済の立て直しの主役を果たさなくてはならないのです。

大原孫三郎の社会経営

 ユヌスさんや賀川と似た観点から企業を経営していた事業家がかつて倉敷にいました。大原孫三郎(1880−1943)です。倉敷紡績を有数の繊維企業に育てる一方で、利益を社会貢献活動の面でも傑出していた人物でした。3000人の孤児を岡山で育てたことで有名な石井十次の事業を生涯、支え続けました。賀川より8歳年上で、関西で活躍しましたから賀川との接点は必ずあったはずですが、まだ見つけることができません。
大原は女工さんたちが病気になった時のために病院(現倉敷中央病院)を建設しました。孫三郎は東洋一の病院を作れといいます。病院のホールには熱帯植物を植え、患者たちのやすらぎのためにコンサートホールも兼ね備えた建物でした。水密桃やブドウのマスカットを生んだことで有名な大原奨農会農業研究所(現岡山大学資源生物化学研究所)も大原がつくらせました。20世紀を通じて労働問題のシンクタンクとなって問題提起をしてきた大原社会問題研究所(現法政大学大原社会問題研究所や市立倉敷商業補習学校(現岡山倉敷商業高等学校)、そして大原美術館。面白いところでは民芸運動を興した柳宗悦の夢実現のために日本民芸館を世に送り出します。つまり農業振興やシンクタンク、文化・教育分野に投資したのです。今なら、国や自治体が行うべき事業を会社と自分の資産から支出して社会に還元したといえます。企業家の立場から防貧に乗り出したと考えれば、それなりの共感が得られるのではないでしょうか。
 株式会社は事業経営して生まれた利潤を持ち株数に応じて株主に還元するシステムです。協同組合は違います。日本の協同組合法ではどちらかといえば「非営利」ですが、配当を禁じているわけではありません。ロッチデール原則では「配当」も認めていますが、まず「教育」への投資を勧めているのです。
「営利」「非営利」の違いは「儲ける」「儲けない」の話ではありません。勘違いしないようにお願いします。正確にいうと、「分配」を「する」「しない」の話なのです。日本で配当を禁じているのは社団法人や財団法人、そしてNPO法人です。ですから、株式会社が「悪」で、協同組合が「善」だと一概にはいえないのです。すべからく経営する人の問題となるのでしょう。大原孫三郎はまさしく協同組合的経営を実践した事業家の一人といえるのだと思います。その点でユヌスさんのソーシャルビジネスという概念は非常に分かりやすいといえましょう。