もう一つの「友愛」 一世紀前の実践に学ぶ【岩手日報】

 もう一つの「友愛」 一世紀前の実践に学ぶ【5月31日付け論説】

 明治末期。日露戦争後のわが国は不況の真っただ中にあった。戦費調達の増税、物価上昇が国民を苦しめた。農村も疲弊し、大都市に人々が流れ込んだ。各地にスラム(貧民街)ができ、貧困が大きな社会問題になっていた。

 当時二十一歳の賀川豊彦が社会の最底辺の人々を救おうと、神戸にあったスラムに身を投じたのは、一九〇九(明治四十二)年。今年はそれからちょうど百年。各地で記念事業が行われている。

 現代日本の風景が、一世紀前と重なる。未曾有の不況で非正規労働者が次々に解雇され、仕事も住まいも同時に失った。あの「派遣村」は、まるで百年前にタイムスリップしたようだ。

 今や、貧困問題は途上国だけの問題ではない。先進国でも「蟹工船現象」は急速に拡大している。賀川の社会運動は「救貧」とともに、やがて「防貧」に向かった。その歩みから現代に生かせるものを学べないだろうか。

 賀川は、明治末期から昭和にかけて幅広く活躍したキリスト教社会運動家。ボランティア、労働、農民運動などの草分けであり、生活協同組合の生みの親でもある。関東大震災でいち早く救援活動を始めたことでも知られる。

 岩手との縁も浅くはない。一九三三(昭和八)年に三陸津波が起きると、賀川らが率いる「イエスの友会」は被災地救援のため慰問使を派遣した。その様子は機関紙「火の柱」に掲載された「三陸罹災地慰問記」に詳しい。

 鈴木善幸元首相も賀川の影響を受けた一人だ。農林省水産講習所の学生時代は、賀川を講師に招いて漁業協同組合の研究に取り組んだ。不況と津波に苦しむ漁民を救おうという思いがあった。

 賀川豊彦記念・松沢資料館(東京)の杉浦秀典学芸員によると、同資料館が設立された際の呼びかけ人として、鈴木元首相や岩持静麻元全中会長らが名を連ねている。

 今月、都内で開かれたシンポジウムで小林正弥千葉大教授は賀川の哲学の根底に「友愛」「同胞愛」があったと指摘。市場や経済の中に友愛の精神を生かすシステムの再構築を強調した。

 スラムでの活動を原点にした賀川の「防貧」は、労働組合運動や農民運動、医療や消費者のための協同組合などに結実していく。社会に不可欠なセーフティーネット(安全網)の萌芽(ほうが)。それが友愛の体現なのだろう。

 そして、友愛という言葉は表舞台によみがえった。鳩山由紀夫民主党代表が、祖父の鳩山一郎元首相から受け継いだ「友愛社会」を政治活動の基本に掲げたからだ。

 相互尊重、相互理解、相互協力を理念とするようだが、具体的な内容はいまひとつ定かではない。政権交代を目指すならば、その理念をどのように政策に反映させるのか明確に語るべきだ。

 賀川の実践は、今の社会に何が欠けているかを教えてくれる。その現代的意義はもっと考えられていい。

村井康典(2009.5.31)