埼玉新聞に綴られた賀川の農村時計物語(3)

 見事製作に成功 9月中には1万個の目標 昭和21年08月12日

 賀川豊彦師の提唱で全国農業会が大半出資し軍需工場施設を利用し見返り物資の時計工場に■換した北葛飾郡桜井村旧服部工場が3月28日、『農村時計製作所』として創立開始以来資材、労務の隘路を克服し、去る8日夜、見事に製作に成功した。出来上がった試作品は幹部から同工場の恩人賀川氏及び全国農業会へ届けられ関係者より絶賛をあびている。
 農村時計製作所として厖大な同工場を引受けた当時は各方面からその無謀と、農村■業■成功しないものとして無経験な時計製作に嘲笑をあび官庁からも「動く時計が出来ますか」と冷やかされたが、4ケ月間、座■の職■指揮と熱意で創業■■は僅か200人足らずの工■が現在700余名に膨張し、本月中には一貫作業で1500個、9月には1万個、10月から平均月産3万個を組立仕上げるべく従業員一同が張り切り、各部品工場毎に「我等の力で目標達成頑張れ」のビラを貼付し120余の部品仕上げに炎暑を克服してコツコツと仕上げている。
 出来上がった試作品の目覚時計■型も、文字盤■スマートな、外部の装飾も複雑な製品で、しかも機械の正確さはメイドインジャパンと異なり農村時計製作所良心的保険付き製品で見返り物資の余剰■全国の農業会から農村家庭へ御目見得する。(■は判読不明な活字)