埼玉新聞に綴られた賀川の農村時計物語(2)
時計工場の病院を公開 南桜井村に総合病院 昭和21年07月31日
国民健康保険組合の更生並びに予防医学の普及、既存軍需工場のぼう大な医療施設一切を生かした総合病院が近く北葛南桜井村農村時計工場に出来上る。
南桜井村農村時計工場は戦時中化学兵器増産のため、軍がぼう大な資金を当時敷地15万50坪、工場付属建坪6万坪余りを南桜井江戸川辺りの松林中に建造したもので、同工場付属医療施設として工場内北方一画に4000坪余りを区切り、建坪505坪瓦葺、内部モルタル塗りのモダンな診療(一般病室、個室60、大病室2)医療施設一切を完備し現在工員の健康保険施設として工員の疾病病院に医師3名、薬剤師1名、看護婦数名が担当している。
医療施設は工員と家族の利用だけでは診療所の機能の3分の1も発揮出来ず、あたら設備が無駄になる。しかも同村付近は開業医も少なく、更に国保加入者であるため急場の間にあはず、現在同村には6月中旬以来集団赤痢患者48名も出て防疫に大童(おおわらわ)となり、村でも工場病院を一般公開を要望している折なので、工場では地元南桜井村と協議の上、総合組合病院組織に拡大し、付近一帯の農村医療施設として開放し国民健康保険も更生させ農村医療を普及する意向である。