埼玉新聞に綴られた賀川の農村時計物語(1)

 南桜井が“時計の村” 月産6万個の目覚ましを輸出 昭和21年03月30日

 賀川豊彦氏多年提唱の「農村と機械工業の合一」がいよいよ北葛飾南桜井村に全国農業会の後援によって実現することになった。即ち南桜井裏の服部時計工場は数百万円を投じた巨大な施設と数千の工員を擁しながら終戦後、此處数ケ月を何等の方面にも転用されず無為に過ごして来たが、今回全国農業会の幹部柳川宗左衛門氏等の手によって『農村時計製作所』として新発足することになったもので同工場操業の暁は、三千工員を収容、月産6万個の目覚時計を生産する計画であり、生産品は大部分、食糧品輸入の見返り物資及び賠償品として重要な役割を果たす訳である。
 同工場は最初賀川豊彦氏指導のもとに、農村に精密機械工業を普及する目的を以て『農村時計学校』として出発する筈であったが、都合上企業の形体を取ったもので将来は同氏指導の下に埼葛地方を『時計の村』化する計画でこれが実現すれば、農閑期の余剰労力の活用は勿論、傷病軍人等の更生施設としても寄与する所が大きく世人の期待する處は大きい。
 なほ操業開始は4月下旬で第一回の生業出荷は7月下旬か、8月上旬の見込みである。