賀川豊彦とアインシュタイン(松岡正剛の千夜千冊から転載)

 松岡正剛の千夜千冊 第七百二十二夜『改造社と山本実彦』から転載

 山本は、儲けるだけでは気がすまない。なんとか日本を動かしたい。大向こうを唸らせたい。
 そこで、まずはバートランド・ラッセルの招聘を皮切りに、海外の大物を呼ぶことにした。来日と出版をパッケージにしようという魂胆だ。山本は素っ頓狂にもアインシュタインを呼ぶ気になっていた。誰もが相対性理論なんて、いかに天才的であろうとも日本人総人口のうちの3人くらいしか関心をもたないと痛烈な皮肉を言ったのに、山本はこれを押し切った。長岡半太郎田辺元石原純を動かして、来日を計画した。いや来日ではなく、滞在を計画した。破天荒な滞在42日間ものスケジュールであった。山本には自信があったのだ。

 蓋をあけてみて、日本中が驚いた。全国でアインシュタイン・ブームが沸き上がり、どこへ行っても黒山の人である。
 成功の秘密は相対性理論にあったのではなかった。背広一着の着たきり雀で、日本庭園や日本画やワビ・サビに関心を寄せ、裏町の駄菓子にさえ関心を示すアインシュタインの、屈託のない人間像に人気が集まったのだ。堅い理論家が柔らかいナマの魅力をもっていること、山本はそのアンバランスな硬軟両面をアインシュタインがもっているという噂を聞いて、そこに賭けたのだ。
 日本人がどんなに異分野でもスーパースターの人間味にからっきし弱いことが証明されたのは、このアインシュタイン・ブームが母型だったのである。