「無私」の心で新事業拓け ポスト金融危機の新たなモデル

 日本経済新聞2009年5月2日朝刊9面インタビュー「世界を語る」

 世界経済を混乱に陥れた米国発の未曾有の金融危機。背景には利益至上主義の行き過ぎもあったが、新たな均衡点は見えないままだ。2006年にノーベル平和賞を受賞したバングラデシュ出身の経済学者ムハマド・ユヌス氏は、自分自身のための利益を求めない「無私」に基づく新しいモデルの導入が資本主義を完成させるカギと説く。
 ―金融危機では何が問題だったとお考えですか。
「危機は一握りの向こう見ずな人たちによって引き起こされ、その影響は世界中に広がった。世界は直前まで食料危機の問題で一色だったが、金融危機で隅に追いやられてしまった。エネルギーや環境問題も依然深刻だ。これらは個別の危機ではなく、経済の構造的な問題が様々な形で表れているだけ。今こそ根幹にある株価至上主義や効率至上主義から意識を切り替え。抜本改革に取り組む必要がある」
 ―具体的には?
「人間は本来、利己的な部分と『無私』の部分を併せ持つ多面的な生き物だ。ただ、これまで『無私』が経済に組み込まれることはなかった。私の提案はこの『無私』に基づいたビジネスを創造し、資本主義に取り入れることでゆがみを正し、完成形を造り上げようというものだ。そうしたビジネスを私はソーシャルビジネスと定義している」
「自分の利益を守ろうと思った瞬間に判断力は曇る。だからソーシャルビジネスに金銭的な見返りがあってはならない。100万ドル出資したら、10年後でも同じ100万ドルが戻ってくる。配当や利息はないが、他人に何かできるという喜びや満足感、他人を変えていくうれしさが配当のように存在する。人の役に立ちたいという思いは人間誰しも心の中にあるはずだ」
 ―金銭的な見返りがなくても資金は集まりますか。
「社会目的の多くの慈善団体や政府機関がある。こうしたチャリティーのお金は通常、戻ってくることはないが、持続可能なソーシャルビジネスへの出資なら資金のリサイクルが可能だ。企業の社会的責任(CSR)の資金も最近は企業広報の色彩が強い。本来の趣旨に立ち返ってソーシャルビジネスに出資するよう提唱している」
 ―具体的にはどんなビジネスが考えられますか。
「貧困、病気、環境など社会問題の解決に本領を発揮する。ソーシャルビジネスに関心を持った独フォルクスワーゲンが私を招いた。私は幹部に『あなたたちの社会的目的は、バングラデシュの村民のための車を製造すること』と提言した。雨期の泥道を走れ、乾期にはエンジンを外して灌漑用に使え、モンスーンの季節には地域が水浸しになるのでボートにそのエンジンを搭載できる。発電もできたほうがいいが、農民に手が届く価格でないと意味がない。こんな議論を重ね彼らは動き出している」
「独アディダスには『あなた方の会社の目的は“はだしの人のいない世界”の実現ではないか』と説き、1ドル以下の靴を世に出すソーシャルビジネスを提案した。しかも製造工程で郊外を出さないグリーンシューズだ。日本企業も技術レベルは素晴らしい。それをソーシャルビジネスに注ぎ、世界を変えて、感謝されればどんなにいいだろう」
 ―日本でも経済産業省が『ソーシャルビジネス研究会』を立ち上げました。ソーシャルビジネスの普及や定着には何が必要ですか。
「専門の経済学修士(MBA)が必要だ。どう効率的にビジネスを運営していくかなどを研究する。学位としてまだ認められていないが、仏有力ビジネススクールのHEC経営大学院はソーシャルビジネスのコースを提供しており、学生や企業の社長らが受講している。米カリフォルニア州立大学チャンネル・アイランド校は『ソーシャルビジネス研究所』設立を決めた。日本では立教大学が企業などとグラミン銀行との連携を支援する拠点『グラミン・クリエイティブラボ』を設置するなど広がりを見せている」
 ソーシャルビジネスを手がける企業が上場する株式市場も設立したい。ストリートチルドレンを救済している企業はどこか、医療のソーシャルビジネスはどこか、すぐに探して投資することができる。私の身近にいる学生たちはインターネットを使った市場の創設などを議論している。上場する際には厳正に審査し、本当に適合する企業だけが上場する仕組みを作る。上場はその企業に認証を与えることになるので、知名度向上にも役立つ」
「まずは始めることだ。小さな一歩でもいい。例えば、若い人たちが集まって『この国の飲み水の問題を解決しよう』などと考える。始めたらあまりにエキサイティングなので、周囲の人も参加したいと思うに違いない。こうやってソーシャルビジネスは広がっていく。フランスでは最初に食品大手のダノンが踏み出し、水資源のヴェオリア・ウォーターや金融のクレディ・アグリコルが続いた」
 ―ノーベル平和賞を受賞するきっかけになったマイクロファイナンスには、オバマ米政権も関心を寄せているそうですが。
オバマ氏が幼少時に住んでいたインドネシアで、母親がマイクロファイナンスに携わっていた。1995年に北京で開かれた世界女性会議には彼女や私、マイクロファイナンスの理解者だったヒラリー・クリントン氏(現米国国務長官)がパネリストとして招かれていた。オバマ氏の母親は病気のために来られず、その後亡くなった。とはいえ金融危機震源地である米国の中枢に理解者がいるのは心強い。今後、マイクロファイナンスやソーシャルビジネスが米国の財政政策や途上国支援の政策にもいい影響を与えてくれることを望んでいる」
「深刻な危機に陥っているときこそ最大のチャンスだ。我々のライフスタイルや経済の仕組みをデザインし直し、再構築して、新たな方向性を見つけるいい機会だ。私の夢はホームレスやストリートチルドレンが存在しない世界の実現。貧困は博物館にあればいい。貧困を知らずに育った子どもが博物館に見学に行き、大人が『貧困と云いうのはひどいものだった』と語ってみせる―そんな社会を2050年までに実現させたい」