埼玉新聞に綴られた賀川の農村時計物語(11)

 輸出品を追って 目覚ましい進出ぶり 東南アへ行くリズム時計 昭和31年10月05日
 ○…月産4万個の目覚時計を生産しているリズム時計工場KK=北葛庄和村=は東南アジア、アフリカなど十数カ国への輸出に追われ、生産が間に合わないとうれしい悲鳴をあげている。同工場は輪養和25年11月、農村時計を改組して生まれた。改組と同時に技術の研究と改善に努力を注ぎ、29年来、目覚時計の製造では連続大臣賞を獲得するなどその優秀さは他の追随を許さない。こうして製品は月産の2割5分が輸出に振り向けられている。
 ○…同工場は現在300余名の従業員が目覚時計の一貫流れ作業に従事している。部品、塗装、組立、試験、仕上げとベルトコンベヤ使用の流れ作業は鮮やかなもの。最初から農村の工業化を主眼としていただけに工員の大半は付近農村地帯出身者で占めており、第一期の技術習得者はすでに長野県下で立派に農村工業化を実現して、将来の希望に花咲かせた。
 ○…この工場の育ての親である専務取締役谷碧(きよし)氏は苦難の同工場再建に寝食を忘れ努力、それが今日立派に実を結んだもので、名実ともに日本有数の目覚時計工場に進出したのも、工員の総力と研究の賜と常に労資間の問題も円滑に処理している。製品も次々と目先も変えオルゴール目覚などは市場で好評を博している。なお会社は専業拡張にそなえ近く鉄筋コンクリート建工場建設の準備を進めている。