信用組合

信組も国際協同組合年の実行委に参加【全国信用組合新聞9月15日】

ユヌス氏のマイクロクレジット

2006年度のノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏は1940年、チッタゴンの宝石商の子供として生まれた。フルブライト奨学生として米国に留学、バンダービルド大学で経済学博士号を取得した。在米中に東パキスタンが独立運動を起こし、バングラ…

賀川と信用組合理論と実践(6)(賀川豊彦学会論叢創刊号 1985年)日大教授森静朗

協同組合運動は、「もともと意識的な経済運動でなければならない。即ち組合員が、相互扶助と協同の力を意識しなければこの運動を持続し、発展せしめることができない。相互扶助の運動は即ち精神運動である。然し不幸にして戦後日本の各種協同組合は、精神的…

賀川と信用組合理論と実践(5)(賀川豊彦学会論叢創刊号 1985年)日大教授森静朗

「庶民金融解決のため」のなかでは、「中小企業者は事業資金の不足に苦みしみ勤労者は家計のやりくりに悩んでいるにかかわらず大衆の貯金が郵便貯金や銀行預金となって幾千億円もの金が大企業に吸収されている。国民の大部分を占める中小企業者や、勤労者が…

賀川と信用組合理論と実践(4)(賀川豊彦学会論叢創刊号 1985年)日大教授森静朗

中ノ郷信用組合後経者としての賀川 中ノ郷信用組合生みの親で、ある賀川は、昭和21年(1946)1月29日に組合長に就任する。昭和27年(1952)11月25日の「協同金融」(注15)のなかで協同互助の金融と題して次の巻頭言をのせている 「人のい…

賀川と信用組合理論と実践(3)(賀川豊彦学会論叢創刊号 1985年)日大教授森静朗

賀川の信用組合と保険制度の連携の主張 昭和13年(1938)発行の産業組合読本のなかで、「信用組合が農村金融機関として任務を十分果し得ざる現状に在るのは、役員に地主が多く、地主の出資高も亦多いところから、自然実権が地主の手に在り、且つ貸付方…

賀川と信用組合理論と実践(2)(賀川豊彦学会論叢創刊号 1985年)日大教授森静朗

中ノ郷質庫信用組合の誕生 日本の信用組合の設立は品川弥二郎と平田東助の内務官僚の先覚者によって行なわれた。ドイツに留学した2人は明治19年に帰国するのであるが、彼等が学んだドイツは、ちょうど資本主義経済のもたらす弊害が階層分化の進行させ、労…

賀川と信用組合理論と実践(賀川豊彦学会論叢創刊号 1985年)日大教授森静朗

はじめに 信用組合成立の発展の歴史を考えてみる場合、そこには弱い者同志が集まって強い者に対抗しようとする団結の力から生み出されている。それは労働者は大資本に対抗して労働組合になり、消費者は大資本の利益に独占されることに対抗して安いものを自分…

中ノ郷質庫信用組合の初代組合長となった田川大吉郎

田川大吉郎(1869-1947=明治学院総理、中ノ郷質庫信用組合初代組合長) 明治2年、長崎に生まれ、20歳で早稲田大学の前身東京専門学校を卒業。18歳のころから筑水生のペンネームで報知新聞に論説を書き、矢野龍渓に認められて大学卒業後、同社の論説記…

中ノ郷質庫信用組合を生んだ清き質屋さん=奥堂定蔵

奥堂定蔵は明治28年9月1日、栃木県那須郡黒羽川西町の中野家に生まれた。同42年3月、川西尋常高等小学校を卒業したが、当時は日露戦争大勝利の直後であったので軍人志望で、宇都宮士官学校に進みたい希望をもっていた。しかし、意に反して義兄につれ…

グラミン銀行と中ノ郷質庫信用組合

2006年のノーベル平和賞を授章したバングラデシュのムハマド・ユヌスさんが同国で始めた「グラミン銀行」は無担保で貧しい人々に融資する金融だ。すでに融資規模は60億ドルに達するというから大したものである。 1974年、チッタゴン近郊のジョブラ…