賀川と信用組合理論と実践(賀川豊彦学会論叢創刊号 1985年)日大教授森静朗

 はじめに

 信用組合成立の発展の歴史を考えてみる場合、そこには弱い者同志が集まって強い者に対抗しようとする団結の力から生み出されている。それは労働者は大資本に対抗して労働組合になり、消費者は大資本の利益に独占されることに対抗して安いものを自分達の手に戻そうということで消費組合運動になり、大地主の収奪から逃れようとする小作人達は農民組合を起こしている。それは人間が主体であり、人間たる自覚に目ざめようとする人間が人格として社会に存在することを認めさせようとする運動であり、人間が人間として生きて行くための運動としての展開でもあった。
 信用組合もまた運動として、大資本に対抗し、或は高利貸からの収奪から逃れるために弱い者同志が集って、一つ一つは弱いけれども、集って力となった場合には大きな爆発力になるとの発想があった。烏合の衆ではその爆発力となることが出来ないから、一つの目標に心を合わせて協力する。それが教育を運動としての実践に移し力となって現われ、信用組合が運動として展開するのである。それゆえ、人間の尊厳のために人間が生きる権利を主張することによって、資本による人間支配から脱することが出来、相互の扶け合いによって人間の回復を図ろうとするところに真の意味があった。
 「一本の矢は容易に折れやすいが、2本、3本となるとなかなか折れにくいこれが組合運動である」ということばがしばしば引用されるが、それは当を得ていると思われる。弱い者同志が、相互に資金を出し合い自らの手にその資金を戻そうとする。商業銀行は古今東西を問わず、庶民の汗水の結品である資金を自らの手に戻すことなく、大企業、大資本のための資金の供給源となってしまう。自分達の資金がなぜ、自分達で利用できないのか、つねに自分達が日陰であってよい筈はない。自分達の資金を自分達の手にひきもどせというねがいが、信用組合運動になり、広く自分達と同じ弱い立場にある者が呼びかけ合い、相互に手をにぎり合おうとして展開して行ったのが、信用組合運動でもあった。だから組合員の共通した意識のたかまりが、信用組合を支えて行くことになったのである。人間として、市民として、組合員としての自覚が生まれ、自立共助という考え方が信用組合の基本をなすのである。自分達は他から支配され、命令されることなく、自分達を律し、自分達の権利を主張して義務を果そうとする。他の介入は許さないというきぜんとした態度が示され、他方、共に助け合うということは組合員同志、組合同志によって、大資本から自分達を守ろうとするのである。(賀川豊彦学会論叢 創刊号、賀川豊彦学会 1985年11月)