賀川と信用組合理論と実践(5)(賀川豊彦学会論叢創刊号 1985年)日大教授森静朗

「庶民金融解決のため」のなかでは、「中小企業者は事業資金の不足に苦みしみ勤労者は家計のやりくりに悩んでいるにかかわらず大衆の貯金が郵便貯金や銀行預金となって幾千億円もの金が大企業に吸収されている。国民の大部分を占める中小企業者や、勤労者が団結し協同して、僅かの金でもこれをお互いの組合に結集すればこのような不合理を防ぎ、金融難を解決し得るのでありますが、この判り切った事柄が割合理解されず、理解されたにしても、実行され得ないのは何故でしょう。それは事業には誠実にして着実な役職員に人を得ないならば、却って、多くの貯金者に迷惑をかけるようなことになることが、大きな障害の一つになっているからであります。」(「協同金融」No.38 昭和29年5月10発行 P.1)
人材とその理想にむかつて進む人々の必要が組織金融の発展を支えるものである。前田繁一氏も、また、
「何時になったら生活が安定するのだろう。いつになったら楽な生計が営み得るのか、大正の時代から昭和も既に28年という今日に至迄、我国の最も大きな悩みは依然として庶民階級の生計上の苦難である。……国民の絶対多数を占める庶民階級が依然として金融難にあへぎ、依然、として生計に苦しんでいるのはどうしたことか。端的にいえばこれらの制度、施設を運営するのに『人よろしきを得ない』の一語に尽きるだろう。……人、人、何事を為すにも人で、あり、人よろしきを得ることである。」(「協同金融」No.27日召和28年2月20日発行)と組合金融、庶民金融に対して、人を得ることの必要性を強調する。
賀川は、「協同組合の旗の下に」のなかで、信用組合が信用金庫に転換する過程にあって信用組合にとどまる理由について、「今は数多い庶民金融機関の中に、中ノ郷質庫信用組合が、敢えて、協同組合に固執しているのは何故でありましょうか? 又質庫事業を公益質屋の如き福祉事業とせずして、協同組合事業として経営しているのは、何のためでありましょうか、申すまでもなし、信用協同組合は中小企業者や勤労者が、小さいながらにもお互いに信用を持ち寄り扶け合いにより金融を図ることを目的とするもので、それは営利を目的とせず又直接国家からの補助、助成によって経営するものでもありません。その組織と運営の精神は、常に自助と協同を標語として組合員による民主的、自主的に経営を為すことを信条とするものであります。このような自主的精神を協同組織とは、今日の我国の社会組織に於いて最も必要とされているところのものであり、又将来健全なる民主的国家を育成するについても、その社会的基盤とならねばならぬものと考えられます。新しい社会国家が、政治的な変革によってのみ達成し得られると考えるのは余りに性急に過ぎます。必要なことは寧ろ民衆の自立的精神と社会協同の実際的訓練の伴って来てこそ、はじめて築かれて行くものであります。このような準備と教育を欠いて、権力によってのみ招来された社会は、再び封建的官僚国家に陥る危険がないと、誰が保証し得られましょうか、協同組合の持つ本質的な意義は協同組織とその精神が、このような価値を有する点にある。」(「協同金融」No.38 昭和29年6月15日発行〉と官僚の統制に対する反発と、自助自治の精神こそ協同組合による組合金融の教育的成果から生まれるものであると協同組合金融の意義を強調する。協同組合は一つの単位のものではなく、「世界の全人類が連帯的に、一協同体につながっているものであることを、最も現実的に示すものが国際協同組合である。それは台所につながり、各人の胃袋につながる。協同組合は営利を目的とせず、資本の集中を排除し、権力の専断を認めず、金銭や資源以上に人格を重ずる人格至上の民主主義を主張する。協同組合は自由統制による生産消費の企画を計り、失業と不況を絶波し物価安定と生活の向上を目的とし、国際平和なくして真の消費経済の成立し得ないことを、最も早くより世界に宣言している。故に国際的に拡大強化することは、やがて世界平和の基礎をなすものである。」(「協同金融」No.41 昭和29年8月23日発行P.1)と協同組合の国際的な拡大と連帯感を人類に及ぼすことを使命とするものであると述べる。
人類の平和は、「人類の連帯意識の教育を除外して不可能であり。それは幼児の教育から始めなければならない。……人間は永久に、下劣な感情の支配に置かれべきではない。人間は真理と、善意と、美感を求める生物界の霊長である。幼い時から人類の協同連帯意識を教えこまれるならば平和な協同社会は必ず招来されるであろう。」(「協同金融」No.42 P.1昭和29年9月23日発行〉