賀川と信用組合理論と実践(6)(賀川豊彦学会論叢創刊号 1985年)日大教授森静朗

 協同組合運動は、「もともと意識的な経済運動でなければならない。即ち組合員が、相互扶助と協同の力を意識しなければこの運動を持続し、発展せしめることができない。相互扶助の運動は即ち精神運動である。然し不幸にして戦後日本の各種協同組合は、精神的内容をもたず利益のみを中心として相情らんとする傾向が強い。ここに協同組合運動の堕落がある。」(「協同金融」No.48 P.1 昭和30年5月10日発行〉として協同組合運動は精神運動であり意識の強化なくしては発展は困難であり、現在は利益だけを中心にしているから協同組合は名のみで、形巌化されているのである。
「庶民金融を使命とする信用金庫、信用組合は、いわゆる数字上の成績をあぐることのみ堕して、いつの間にか勤労庶民層から遊離する傾向にある」(「協同金融」No. 49 P.1昭和30年5月25日発行〉となげく。
「組合の理想を常に高い目標におきながら現実の経営をこれに適応させつつ能率の高い運営をしてゆくには、その教育活動とともに、業務の合理化について常に研究と努力を続けなければならない。現状に満足してこうした精神を怠るならば、信用組合の如き規模の小さいものは萎縮のほかはなかろう。金融の正常化の情勢を背景とする銀行等大資本金融機関の攻勢に対しでも所謂庶民金融機関の経営も今後容易ならぬものがあるにしても、信用組合の如き協同組織による金融は、なおも独自の機能を発揮できる。」(「協同金融」No.55昭和31年1月28日発行)業務合理化を一方において推進し、他方教育活動を旺盛にして意識を高め、現状に満足することなくたえず前進する。大資本金融機関との異質性を明確にして、独自性を発揮する。それは協同組織とし寸人的むすびつきであり、連帯感の強化である。
「勤労者、農民、中小企業者の有する資金をその協同組合に明き結集しなければならないが、なお長期資金を獲得するために、火災、生命等の共済協同組合に前進しなければならない。……中小企業協同組合の間に、このような組織ができるならば、信用組合はこれとタイアップして長期貯金が得られ、そして住宅や諸設備の供給ができるであろう。不況は常に中小企業者におおい被さることに対し、我等は自己強化に先ず努力しなければならない。そのーつとして共済協同組合への前進を提唱す」(「協同金融」No.71 P.1昭和32年9月25日〉るものである。
 庶民階層の人々に対する生命共済を協同組合が行ない。信用組合とタイアップさせる必要を提案している。
 賀川は最後に「近頃、信用金庫ばかりでなく、信用組合の経営の任にある者からも相互扶助とか、協同精神と言った概念に捉われていたのでは、庶民金融機関として運営ができにくくなって来たというものがある。果して協同組合の指導精神とされて来た協同組合が不用となったのであろうか。一体、信用金庫なり、信用組合が当初どのような階級によって、又どのような目的をもって、どのようにして組織されたかを省みるべきだ。それは、首唱した理事者があったにしても、それに賛同した中小企業者、勤労者の協力なくしては設立されなかったろう。組織の立前は、組合員のため、組合員による、組合員の協同組合であらねばならなかったことは、準拠法たる中小企業協同組合法の明かにしているところである。銀行等の金融機関に相手にされない、物的担保力の低い階級を組合員とする信用組合は、その本質上、その団結と協同によってのみ信用力を創造し得るのである。その精神の振興のために教育活動が重視されることは組合の本質上の要請である。先進諸国の協同組合運動者が、教育活動の伴はない協同組合は、協同組合でないとさえ切言しているのはこの故であるので、協同精神こそ組合たらしめる根本理念である」(「協同金融」No.73昭和33年1月1日発行〉と協同精神こそ、組合の根本理念であろうとしている。
 こうした努力を続けけた賀川は昭和35年(1960)4月23日上北沢の自宅において逝去する。木立義道氏は「賀川豊彦と協同組合運動」(注15)のなかで、「先生の社会思想において、新社会の基礎づくりとして、精神運動としての伝道は窮局において神の国の理想をアピールし、人類の精神的悔改めによる匙生を促すものであるが、社会運動としては、なかんずし労働組合と協同組合の組織による共同社会の育成にとくに熱心であった。」「協同組合に対しての先生の見解は、指導理念において、よく徹底した自治共助の精神と、道徳的、平和的要素を有つものとして期待をかけられた。蓋し社会の進歩は国家権力によるよりも、組織あり、教養ある民衆によって促進されるものとして、個人の人格を重んずる点に、協同組合の社会運動における価値を高く評価した。」
 信用組合について、「賀川先生は、独逸ライファイゼン系統の信用組合を実際に視察されて、その組織運営における相互扶助の精神ιその組合員に及ぼす道徳的感化に感銘され組合の経営にもその精神を高調された。事業的に急速な発展を見なかったにしても、健実な経営を特色とした。」(木立義道「Kagawa賀川豊彦と協同組合運動」P.101〜111)と賀川の人柄を叙述している。
 賀川の一生は波澗に富んだものであった。貧民窟に身を投じて「貧民心理の研究」を書き、階層分化の過程のなかで貧民窟に転落する人々を注意深く洞察し、しいたげられた人間のなかにも相互扶助の精神のあることを知り、そのなかから生まれるお助け無尽のあることを発見する。貧民はいくら努力しでも貧困であり、高利貸、質屋の利益追求の餌食きであり、貧困は貧困を再生産し、富める者は増々それらを犠牲にして富んで行くことをつぶさにながめる。貧民窟に入ったら最後娘は身売りに出され。病苦のなかにただ死を待つ人々が多数いることを発見する。神を説くだけでは救うことの出来ないことを知った賀川はアメリカで労働組合運動の整然と行なわれているのを見て、これこそ貧困を救う唯一の方法であると考え帰国後、労働組合運動に活躍する。そのプロセスの進行中労働組合の過激化と厳しい弾庄によって、労働組合運動から農民運動に移る。貧困者の前身は農村の貧農であり、この農民を救済するためにも農民組合以外にないとしながら全生涯を農民運動にうちこんで行く。しかしさらに貧困者の防止と救済のために金融機関の必要性を認めて、中ノ郷質庫信用組合の設立に尽力し、2代目組合長となる。ライフアイゼン式の信用組合に傾倒し、協同組織は人類の目的とするところで、相互扶助、共助自治こそ民主的に洗煉された人格の集合体となる。それは1つの組合のものではなく全人類のためのものであり。国を超えた人類愛によるものである。
 信用組合創始者ライファイゼンも宗教家であり。賀川もまた鉄を熔かす宗教的情熱をもった協同組合運動者であった。多くの信用組合についての論者も挙げるものが多いなかでで、、賀川は、貧民という現実を捉え、高利貸から貧民を守り、貧困への防止策として協同組織による組合金融を発見する。一人は弱し、しかし集まれば強くなる。そのために意識を強め、団結を固めなければならない。その潤滑油として教育活動の推進を提唱する。
 また信用組合と共に共済生活保険の協同組合によって行なわれるべきであることを強調する。賀川の考え方のなかに、明日の理想とが夢をとくよりもその日どう生きて行くかという多数の貧しい人々の問題がある。革命には時聞がかかる。人間の生命は5、60年であり、そのなかで明日だけを夢みて、何ら得るところもなくただ国家の弾圧と、多くの人々の犠牲だけが残されるとするならば、果たして多くの人々に利益となることができるだろうか。そして、現実の問題をどう解決し、どう対処することが、多くの人々に利益となるかという点に腐心しながら結局それは現世の中で亨受出来る最大のものを獲得することであり、それは組合運動にもなり、自分達の手で出来るものは他の干渉を排除して、相互連帯の責任で実行すべきであるとことを強調して一貫して主張しつづけた協同組合活動であり、信用組合運動であった。(賀川豊彦学会論叢 創刊号、賀川豊彦学会 1985年11月)