伴武澄が語る「甦る賀川豊彦の平和思想」(2)

 当時の白人の人口が400万人。黒人の人口が1,600万人。4倍もの人を白人が実質的に支配している国があったんです。17年前ですよ。多分、ここで 17年前に生まれていない人はいませんよね。物心もついていない人はいませんよね。私は1960年代、そこに3年近くいまして、非常につらい思いをしました。

 理由は2つありました。一つは自分が差別されることです。僕の父は外交官でした。外交特権というのがあるんですが、公立学校には入れてくれません。法律では、ヨーロピアンでないから入れられない。そういう国と外交関係を結んでいる日本というのがあほなんですが、父は仕方ないと言っていました。日常生活では、常に加わってくる圧力といいますか、視線といいますか、を感じていました。日本人は一応「オナラブルホワイト」、名誉白人ということで、レストランなどは入れましたし、ホテルも泊めてもらえたんですけれども、レストランで食事をしていると、鋭い視線がこちらに向かっているのが分かるんです。「なんでおまえはここにいるんだ」。そんな視線です。

 もう一つは、黒人が差別されることです。南アフリカでは法律がそうなっていますから、当然です。中国人もインド人も差別される。問題はその差別される人たちをさげすむ日本人がたくさんいたということなんですね。おじさん、おばさんたちは、黒人が差別されて当然だと言わんばかりのような発言をたくさんしていました。こういう経験をした人は日本人は少ないと思います。

 嫌で嫌でしようがなかった南アフリカでの生活を切り上げて帰ってきたら、今度は日本でいじめられるのです。何を言われたか。「きざだ」。当時。外国から帰る人はほとんどいなかったんですね。英語の発音がちょっといいだけで、「きざだ」と言われる。今のいじめですね。当時いじめなんて言う言葉はまったくありませんね。どうしてアフリカで差別されて、日本でいじめられなきゃいけないのかと思いました。

 結果的にそれで、いろいろなものが信じられなくなりました。もちろん、キリスト教も含めてです。なんでキリスト教を信じている国で厳然として人種差別があるのか。賀川豊彦批判の一つに「賀川豊彦は差別主義者だった」という批判があります。賀川が差別主義者だというなら、南アフリカの400万人の白人はほとんどクリスチャンですから、全員が差別主義者に違いない。