伴武澄が語る「甦る賀川豊彦の平和思想」(9)

 賀川はスラムの中から試行錯誤しながら、食堂を始めたり、歯ブラシ工場を経営したりしながら、独自の生活協同組合を生み出しました。今も続いているのはコープこうべです。140万人の会員を抱えた世界最大の協同組合だといわれています。いろいろなことをやる中で、貧困から脱出するために何をやればいいかということばかり考えていました。そのために、労働者は労働組合に団結することを求めます。農民も搾取から逃れるために農民組合に団結することを求めます。商人の搾取から逃れるために生活協同組合をつくります。お医者にかかれない労働者のために医療組合までつくります。よくもまぁと思うぐらい幅広い分野に協同組合を導入します。

 世界の協同組合の歴史を見ても、医療分野までやっている協同組合はないそうです。ですから、協同組合の世界大会では当然ながら農協も参加します。実は日本のJAも行っているんですね。そこで、日本はよく褒められるそうなんですね。日本の協同組合は非常にうまくやっているんだと。非常に幅広い分野でやっていることが評価されています。

 信用組合というのは、日本に多くありますでしょう。京都でトップの金融機関は京都銀行ではなくて、京都中央信用金庫だと聞いてびっくりしたことがあります、信用金庫の方が銀行より親しまれています。これはすごいことだと思います。品質ですよ、預金量ではなくて、多分、47都道府県で信用金庫がトップだというところは京都だけだと思います。だから京都って面白いんですよ。なぜ信用金庫が強いんでしょうか。助け合いの精神があるのでしょうかね。あったはずですね。昔共産主義の人がえらかったかもしれませんけれども、面白いですよ。

 信用組合では、賀川がつくった中ノ郷信用組合(当時は中ノ郷質庫信用組合)が今、東京で立派にやっています。関東大震災のとき、質屋が暴利をむさぼり始めました。質屋といっても全員が悪いわけではない、奥堂定蔵という質屋さんの主人が「賀川先生、これはやばいですよ」と相談しにくるわけです。「じゃあ君、協同組合で質屋をやろう」というところから始まったそうです。1928年のことです。それから続いているのです。深川とか、本所あたりでは、やはり、信頼を得ている。中ノ郷信用組合の理事長にお会いして、バブル崩壊で大打撃を受けなかった理由を聞いたことがあります。「うちは、担保を取らないんだよ。お金を貸すときにも。みんな担保を取るから、バランスシートが崩れるんだよ」と。

 担保を取らないという意味が分かりますか。僕は経済の取材を長くやっていますから、すぐ意味が分かりました。バランスシートというのは、左に資産と右に負債とあって、負債の中に資本金と借金があります。地価が下がって左側の資産の価値が目減りすると、右側の負債も少なくなる。仮に半分になると、こちらの借金は同じですから、そうすると、この資本の部分が逆にマイナス、つまり債務超過になるわけです。

 債務超過になれば、市場の信頼を失い、株は売られ、誰もそこに投資してくれなくなるというような状況が起きます。まさにこの1年、起きていることです。ところが担保を取らずに、返済してくれなかったらどうするの。「いや、顔が見えるからいいんだよ」と言う。貸し手と借り手に間に信頼関係があるという意味でしょう。そういう金融機関って素晴らしくないですか。だから、貸し離しも貸し渋りもない。本来の信用組合ならできるはずなのです。

 賀川豊彦らがそういうことを初めから知っていたかどうかは知りませんが、助け合いの金融機関を持ちましょうということなんですね。

 それから保険です。一般的に戦前は健康保険も十分に普及していませんでした。アメリカでは今もないんです。だから、オバマさんが全米でみんなが入る健康保険制度をつくろうとしています。日本は健康保険では大変な先進国なんです。問題を抱えながらも先進国なんです。これは認識しておいていいと思います。でも、賀川が1930年代、保険、保険と言わなかったら、いまの健保があったかどうかは分からない。ここは余り指摘されていません。生協とか労働組合の発展に賀川が貢献したことは理解されていますが、健康保険も賀川に感謝しなくてはいけないのです。