伴武澄が語る「甦る賀川豊彦の平和思想」(12)

 この本はさきほど言ったように1936年、アメリカでハーバー社から出版され、翌年、ロンドンでも出版されました。最終的に17カ国語に翻訳されました。中国にもアラビア語にも翻訳されています。これが、日本語だけなっていませんでした。

 1936年という年は、ヨーロッパで戦争が起きる予感どころか、暗雲がそこまで立ち込めていたんですね。そういう緊迫感がある中で、賀川はジュネーブでも「Brotherhood Economics」の講演をしています。講演はフランス人の神父さんが英語からフランス語に翻訳しました。ヨーロッパで出版されたのは、その演説をもとにしたという説があります。フランス語からイタリア語版が生まれ、スペイン語になり、オランダ語になり、ポーランド語になりという形で広がっていった可能性もあります。

 翌年から、賀川の「Brotherhood Economics」に学ぶセミナーがヨーロッパ各地で相次いで開かれました。賀川は行けなかったのですが、アメリカ人の弟子のヘレン・タッピングという人が代理で出席しています。つまり、戦争をどうしたら回避できるのかとヨーロッパがもがいている最中に、救世主のように現れた東洋の小さな巨人が、「戦争を回避するために友愛に基づくBrotherhood Economicsが必要だ」と言うわけです。日本では、庶民に人気のあった賀川ですが、ヨーロッパでは宗教家や政治家、知識人といったハイレベルの人たちに「Brotherhood Economics」が受容されたのだと想像しています。そうでなかったら、たった1〜2年の間に17カ国語には翻訳されるはずがありません。
 EUは1970年代にECと言っていました。当時のECの議長だったコロンボ・イタリア外相が来日しました。その時、ECの精神の中に賀川イズムが流れているんだと言っているんです。うれしくないですか。一方で日本人の血を受けたクーデンホーフリヒャエルがEUの父といわれ、精神的な背景として、賀川の書いた「Brotherhood Economics」がEUの中に流れているということなんですね。こういうことをわれわれはもっと知るべきです。

 鳩山首相東アジア共同体だと言っています。そんなものはできるはずがない。アメリカが反対するに決まっている。中国の得になることをアメリカがする必要がない。そんな声が高まっています。どうしてそういう発想でしか世界を考えられないのでしょうか。シューマン外相はフランスが領有してもおかしくないルール地方を「共同で管理しましょう」と差し出しました。これはイエスの心だと思います。片方が譲れば、相手も譲るかもしれない。まさに賀川精神です。

 賀川は、経済論を説きながら、結果的に平和論を語っていたのだろうと思います。つまり、貧困も平和も、戦争も経済から起こるんだと。搾取のない経済システムを導入することによって貧困をなくし、国と国の搾取のシステムをなくすことによって、平和は訪れるだろうということなんですね。一見遠回りのように見えます。荒唐無稽のように見えますが、僕には結構説得力があるんですね。皆さんはどうでしょうか。