塩のこと

汝ら地の塩なり
塩もし力を失はば、
何をもてか之に塩すべき。
(キリスト山上の垂訓から)

エスは弟子たちに「地の塩」になれという意味だが、生物は塩がなければ生きていけない。また、塩は食べ物に味をつける有用なものでもある。さらに肉などを塩漬けにすると防腐の効果がある。

社会に生きて素になれというたとえは意味が深い。社会が腐らないよう清らかにせよということなのだ。

高知の自由民権運動家、片岡健吉は「俺が居なければ自由党は腐敗する。俺は塩でな」とよく言っていたそうなのである。

賀川豊彦が言いたかったのは、宗教の価値である。宗教がないと社会が腐敗する。そう考えたのである。

光のこと

燈は高いところに置かないと遍照ことができない。
自由、自立、自治、自由、永久に人々を永久に照らす光たれとイエスはすすめたのである。
汝らは世の光なり。山の上にある町は陰ることなし。また燈火をともして升に下に置かず、燈台の上におく。(キリスト山上の垂訓から)

これは最澄が述べた「一隅を照らす」とは違う。せめて「一隅」を照らすぐらいは誰でもできるから、そんなことはら始めなさいという意味で、最初から「遍照」などと言っていない。「遍照」は御大師様がすることなのだ。