労働運動

闘争資金のために絵はがきまで販売した賀川豊彦

大阪のエル・ライブラリーのブログに「神戸三菱・川崎造船所争議」(1921年)を支援するために創られた絵はがきが掲載されている。賀川豊彦がかんかん帽かぶってデモ行進の先頭に立つ有名な写真が絵はがきにもなっていたのには驚いた。 大原社会問題研究所が…

二村一夫著作集から「大阪労働学校の人びと」

二村一夫著作集 大阪労働学校創立の中心となったのは賀川豊彦です。その他にも大阪毎日の記者の村島帰之、総同盟大阪連合会の西尾末広も熱心でした。しかし、学校の創立基金として当時の金で5000円、今なら2500万円にもあたる大金を出し、初代の校長となり、…