近江の兄弟ヴォーリズ(3) 賀川豊彦

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 メリル・ヴォーリズとその周囲の人々は面白い群団組織を持っていた。それは矢張りヤンキー式の一種のデモクラシーである。ヴォーリズは今ではどうか知らぬが、極く最近まで自分の労作した収入に対してすら、全酬権を主張しないで従業員の合議制で凡てをやっていた。これなどは、とても他の人の真似の出来ない偉いところで、ヴォーリズは偉いと私をして思わしめたところである。
 私はヴォーリズ一族の西洋風の生活を少しも贅沢だとは思わない。あの方がどれだけ経済的であるか知れないと思うて居る。ただもう少し日本語が多ければ、どれだけしっとりするであろうかと思うだけである。
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 ヴォーリズ・ミッションで、一番の欠点は教育事業のないことである。彼の肺病院も善いものであるに違いない。然し、彼が近江を教化しようと思えば、どうしても宗教教育を基調にしなければならなね。彼の今日あるは全く彼の聖書研究会の会員が成長したからである。それで、彼がもし彼の理想を注ぎ込んだ中等学校なり、工業学校―之が彼に最も適する―聖書学校なりを建てなければ彼の事業は半分しか出来上がって居らないと私は思う。
 彼は大工である。彼は建築業者である。そこに私は彼の仕事のナザレのイエスに似て居ることを思う。然し、彼の12弟子は必ず大工であるべき必要はない。彼は12弟子の教養にもう少し専念すべきだと思う。彼が宗教教育を捨てるならば、近江の強化は更に遅れると思う。私は彼の方向が此の方面にあることを知っている、彼の計画の中に聖書学校があり、既に敷地の買収されて居ることも知っている。然し、もうそれが計画されてから6、7年になるが、まだ建ちそうにもない。彼の為めに祈らなければならないであろう。
 7
 ガリヤラ丸に乗って湖畔の伝道に出ることは近江の伝道の愉快なものの一つである。私も数年前にそれを一日試みたことがある。琵琶の西峯には中江藤樹先生の居られた村がある。その村の近くに船をつけて、船から自転車を降ろして、自転車を飛ばして、一種のセエラー様になっているある湖畔を走ったことを私は覚えている。
 近江は本願寺が盛んであるからなかなか伝道は困難である。然し、子供はよく集まってくる。武田猪平氏はその子供達には実に上手な話し手である。私は武田氏と一緒に湖畔の西北岸の村々を伝道して廻った。
 何だかガリヤラの昔が思い出される。ガリヤラの湖水は琵琶湖のように大きくはなかったが、伝説に富んでいることに於いては琵琶湖に似ている。ただテベリアやカペナウムがガリヤラ湖では西岸にあるに、此処では、テベリアに比すべき安土、カナペウムに比すべき彦根、ナザレに比すべき八幡がみな東岸にあることは一寸、見当が違う。
 然し、近江伝道は面白い。
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 ミセス・ヴォーリズも聡明な人である。然し、私は彼女のことに就いてあまり知らない。私は寧ろ、吉田君や、村田君や、佐藤君のことを多く知っている。みな一生懸命である。私は吉田君の書いたメレル・ヴォーリズとその最初の弟子達の信仰生活を読んで、一朝泣かされた。それは感激の涙であった。
 私はメリル・ヴォーリズの周囲にある人々が、天父に恵まれ、あの美しい湖畔に、安土の切支丹精神をもう一度取り返してくれれば善いと思う。
 安土と八幡は一里しか離れて居らぬ近所である。安土の滅亡した時に市民はみな八幡に逃げて来たのである。それで安土の文化は今日、八幡が受け継いで居ると云うて差し支えないのである。
 私はメリル・ヴォーリズが、世界の中心説を持ち出す時に、いつも安土文化を思い出して頷くのである。
 そうしたいものである。
 神様どうか、湖畔の芥種を恵んで下さい。(吉田悦蔵著『近江の兄弟ヴォーリズ等』(大正12年5月、警醒社)の「跋」から転載)

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