シュヴァイツァーと吉田源治郎

 鳥飼慶陽先生の連載「吉田源治郎・幸の世界」はすでに37回を迎えている。32回からは「シュヴァイツァーと吉田源治郎」が続いている。吉田源治郎・幸夫妻の資料を読み解くうちに、源治郎と宮沢賢治の星の世界に突き当たり、今回はシュヴァイツアーに出会ったのである。
 賀川豊彦は早くからシュヴァイツアーの存在を知り、感化を受け一部著作の翻訳も手掛けているが、源治郎はニューヨーク市ユニオン神学校チャールズカレッジ在学時にシュヴァイツアーの『原生林の片隅にて』を読み、「シュワイチエル『原生林の片隅にて』を読む」を書き上げている。1924年は、シュヴァイツァーがアフリカ・ランバレネでの活動を再開した年である。
 この原稿は、最初に『雲の柱』第3巻第8号(大正13年10月号)に寄稿され、大正14年9月に刊行された吉田源治郎訳『宗教科学より見たる基督教』(警醒社書店)の付録として収められた。鳥飼先生によれば、まとまった形でシュヴァイツアーを日本に紹介したのは源治郎が初めてではないかと指摘している。
 シュヴァイツアーについて、筆者は幼少のころ読んだ世界偉人伝以外に読んだことはない。そのことに反省しつつ、鳥飼先生の連載を読んでいると知らないことばかりである。戦後、現地に赴いてにシュヴァイツアーの事業に協力した高橋功医師の著書『シュヴァイツアー博士とともに』(白水社、1961年)によると、シュヴァイツアーが一番親しく文通した日本人が内村鑑三で、2番目が賀川豊彦で、賀川死去の報に接したシュヴァイツアーは「日本は惜しい人物を失ってしまった」と語り、「シュヴァイツアー博士の顔には同志を失った嘆きがはっきり見うけられた」とも書いているそうだ。
 せひとも鳥飼先生の「シュヴァイツアーと吉田源治郎」をお読みいただきたい。
 http://www.kagawa100.com/kagawagalaxy/index.htm