はじめに 今井鎮雄 神戸YMCA顧問

 報告書は日々、形になりつつあります。発行にはまだ日がありますが、内容を少々紹介したいと思います。今井鎮雄氏の「はじめに」だけをブログ上で公開します。
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 賀川豊彦の名前は今の若い人たちは覚えていないかもしれません。神戸で生まれ、徳島で育ち、東京で勉強しました。その後神戸に戻って1909年12月24日、当時スラムと呼ばれていた地域に移り住み、ここの人たちと共に生きることを始めました。多くのボランティアとともに、住民の基本的な生活を支えることに努めるようになります。特に子供や女性、病人が、人間らしく生きるために様々な事業を展開しました。
 やがて、これらの活動は、みんなで力を合わせて暮らしをつくる購買組合や労働組合、農民組合、関東大震災を経て、信用組合や医療組合などの協同組合運動へと広がりました。評論家の大宅壮一は「運動と名のつくすべてものは賀川に始まる」と書いています。
 賀川の活動は世界的にも大きく評価されました。特に賀川の協同組合論は大恐慌後の世界経済再建のための指導的経済理論の一つとなりました。1930年代のアメリカで『TreeTrumpets Sound』という本が出版されました。3つのトランペットはマハトマ・ガンジーシュヴァイツアーと賀川豊彦です。この3人が世界の曲がり角でトランペットを吹いて私たちに新しい社会の指標を与えたという内容です。賀川は、私たちの暮らしを支える根幹を築くことに尽力し、その生涯を捧げたのです。
 その賀川豊彦の献身から100年を迎えた2009年、神戸で始まった運動や活動を引き継ぐ者たちや、それに連なる人々があつまり、それぞれの専門化した領域を越えて社会に向きあう「賀川献身100年記念事業」が行われました。東京と神戸、そして徳島にプロジェクトが立ち上がり、多くのシンポジウムや講演会が行われました。数え切れないほどの映画上映会やパネル展も開かれ、関連の出版もありました。
 マスコミも多くの記事を新聞に掲載してくれました。事業は最初に想像したより多くの人々を巻き込み大きな広がりを見せたのです。
 この本はその一年間の貴重な軌跡を編集したものです。賀川の時代と現在とは状況が大きく異なります。それにもかかわらず人が互いに寄り添い、互いの立場を理解し、尊敬し合い、ともに支え合うことの大切さは、今も変わることなく私たちの課題です。物質的な豊かさは進みましたが、心の豊かさや「ともに生きる」ことの大切さがかえって薄められている今、私たちは新たな生き方を求めています。神戸では賀川記念館が建て替えられました。賀川を追憶するのではなく賀川が考えたことを新しい時代に考え直す仕事をしよう、新しい時代に提案できる場をつくりたいと考えています。
 この報告書が、人間の時代への扉を再び開ける機会となることを願ってやみません。