世界国家聯邦への構想 国際平和協会機関誌「世界国家」(一九四七年二月号)

  世界国家聯邦への構想
   ――最高の道徳を基礎とした地区聯邦案――

 平和を基礎とする世界国家と云うものは、冗談事や、ごまかしや、不公平や、非科学的な方法で来るものではない。少しでもキリストが教えるような高き道徳から離れるならば、それは全く望みのないものになってしまう。一九四五年八月十五日、日本が敗戦して世界に珍しい平和な終戦様式を歴史に書いたと云うことは、高き道徳的理想が敗戦した日本と日本を占領したマッカーサー元帥の両者にあったためであった。日本の大皇は高き道徳を国民に要求し、マッカーサー元帥はミヅリー号の甲板において大地の創造主に祈った。この両者の道徳的一致がなかったなら、現在見るが如き占領国と被占領国の間に、世界歴史に見ることの出来ないような美しい現象は起らなかったであろう。若しも世界国家を我等が現出せんとするならば、世界国家を組織する成員国家が、日本の天皇マッカーサー元帥の如く最高の道徳をもって相ゆづる気持を持たねばならない。勝ったからと云って誇り、負けたからと云って自尊心を失ふようなことでは世界国家をつくることは出来ない。政治を委ねられた指導者もマッカーサー元帥がミヅリー号の甲板上に於て謙遜に、神に祈ったような十字架愛の精神を現わす必要がある。この点に於て、世界六十五の独立国は皆反省する必要がある。スヰスやデンマークやスヰーデンのような精神的基礎を持たずして、唯物論的の主張を科学的と考えたり、代議制度を否定し、少数派の意見を蹂躙して暴力組織をもって、階級征服を肯定するようなことで、世界国家が来るなどと思うならば、それこそ大きな間違いである。

 世界国家の建設は、徹底的に博愛精神を基調とする必要がある。仮にも団体利己心や、階級的暴力組織を肯定し、思想の上に武力を持って行ったり、真理の上に暴力の組織を加算するようなことがあっては、絶対に世界国家は成立しない。

 世界国家に於ては、国内組織が、あくまでも協同組合経済を根本にし、経済民主と社会民主と政治民主の三者を基礎とし、それが国外に於ても、貿易に、外交に、国際裁判に、国際条約に反映し、利益払戻し、持分の制限、一国一票の自主制が認められなければならない。

  スヰーデンに学ぶ

 政治民主主義は必ずしも、経済民主主義を約束しない。それが協同組合精神にまで発展する必要がある。クリューゲル財閥がスヰーデンマッチとして日本のマッチ製造を独占し、一大三一年の恐慌まで勢力を張った如き、世界的資本主義が、敗戦の日本に侵大して来るならば、日本は決して安全では居られない。一大三一年クリューゲル財閥の没落後、スヰーデン協同組合全国同盟の会長ヨハンセン氏が、生命保険組合の積立金を利用して、クリューゲル財閥の生産機関を買ひ受け、それを利益払戻しの原則によって、電球製作の如き精密工業にまで発展させ、それを更に、外国貿貿まで持って行き、スカンヂナビア地域に於ける協同組合貿易として世界に珍らしい組織にまで持って行ったことは、文明史上に特筆すべき事実であった。一九三六年頃より、英国の消費組合もこれに参加し、スヰーデンを中心として北欧に於ける協同組合国家ブロックが出来上ったことは注目に価する。

  チャーチルのヨーロッパ聯邦論

 前英国首相チャーチル氏が、ヨーロッパに於ける国家聯邦組織を、また新しく主張してゐるが、若しヨーロッパに聯邦組織が生れるとするならば、スヰーデンを中心とする協同組合国家ブロックの形式が、ヨーロッパの中軸となるべきである。その他に絶対に成功の希望はない。

 アジアに於ける国際聯合の発達も、これを世界国家の線に沿って発達せしめんとするならば、スヰーデン中心の協国組合国家ブロックの形に於いて、極東諸国が、互助友愛の組織をもつて相寄り、殖民地的経済支配よりのがれ.中華民国と日本と手を握り、その上にフィリッピン共和国も、朝鮮も、ソビエトも、インドネシアビルマも、タイも、印度も協国組合ブロックを編成して、貿易面に於いても、営利と搾取を離れた形を採るべきだと私は思う。

 この形態が.アフリカに於いても、又、アメリカに於いても組織せられ、協国組合国家ブロックが 一、ヨーロッパ聯邦 二、アメリカ聯邦 三、極東聯邦 四、近東聯邦 五.アフリカ聯邦の五聯邦にまとまり、五聯邦が国際聯邦をふみ台として世界家聯邦を組織するならば、世界国家への発達は決して空想でないと私は考える。 (一九四七年二月号)