完全なる愛 国際平和協会機関誌「世界国家」(一九四八年九月号)

 キリストは、我儘な道を歩まず、疲れを知らぬ人間として歩いた。しかも、人間として自分の意識を目醒めさせて、神の如く歩いた。人間の中に神の力が帰ってきて、その証明にならなければ宗教は役に立たぬ。

 キリストは孔子や釈迦とも違って、完全なる愛を実現した。釈迦は立派な人だったが宇宙は空であるといった。まだはっきりと宇宙の全意識に目醒めていない。宇宙的には半意識的時代にいる。孔子はいゝ人だったが、全人格的に意識していない。ひとりキリストは、全体の中に傷があるならその傷を治そうとされた。即ち人間の中に神を表した最も偉大なる人物である。

 我々がキリストを知るのは、恰も種を播いて、実がみのるようなものである。神のような生活をしたという人間の中に歴史的事実が表れるのである。キリストに於て、宇宙全体の気持を入れて壮烈なる意識を持って歩くような魂が生じた。

 今の社会は、資本家は資本家、労働階級は労働階級、母は母、父は父として、ばらばらに住んでいるが、資本家が宇宙意識の気持になるなら搾取はしない。また労働者階級が神の気持になるなら生産はあがる。女房が神の気持になるなら我儘ばかりしていない。子供が神の気持になるなら勉強して恥かしくない人間になる。凡ての者が他の欠点までも自分の責任として引受ける神の気持になる。こゝまで成長しなければ日本をよくする道は解らぬ。キリストのような気持にならねば神の気持にはなれない。

 唯物的共産主義のように財産さえ一緒にすれば平等になると思うのは間違である。愛の外に社会を平等ならしめる力はない。キリストの偉大さである。キリストは愛の発明家である。真の社会改造をするには愛のほかに何物もない。  (一九四八年九月号)