1月4日付け神戸新聞 正平調
引っ越しの荷物は、ささやかなものだった。自ら引いた荷車にくくったのは、布団と二つの行李(こうり)、それに竹製本棚一つ。行李には衣類と本が詰まっていた。賀川豊彦が自伝的小説「死線を越えて」に書く引っ越しの一場面だ。向かったのは十軒続きの長屋である。部屋は、表が三畳、奥が二畳。お金がなかったので、うち三畳分しか古畳を敷けず、障子もお古だった。ランプを買えないまま、暗闇の中で新しい暮らしが始まった。
これが一九〇九(明治四十二)年十二月二十四日のことだ。神戸の貧しい人々が住む地域で布教活動をしよう。そう決意しての引っ越しである。社会活動家として名を残す賀川だが、その波乱の人生が、この荷車引きから始まったといえる。ことしのクリスマスイブで、ちょうど百年となる。神戸文学館(神戸市灘区)はすでに、「献身百年」と題した企画展(二月二十四日まで)を始めた。活動の拠点だった生まれ故郷の神戸を中心に、多様な足跡をあらためて振り返る年になるだろう。
貧しさを生まないための労働、農民運動や協同組合、世界連邦運動…。実に幅広い活動の底には、どんな精神が流れているのか。賀川が種をまいた一つ、コープこうべの講演会でかつて、武田清子国際基督教大学名誉教授が「社会を決して高みから見下ろさない信念」と表した(コープこうべ七十年史)。常に弱い立場の人々に寄り添う姿勢と言い換えてもいい。貧富の差が渦を巻く時代を、賀川は生きた。荷車を引いて渦中へ飛び込む青年の姿は、格差にきしむ現代から見て、なんと刺激的なことか。