現代に通用しないか賀川版「失業共済組合」
賀川豊彦は『1Brotherhood Economics』の元となる『キリスト教兄弟愛と経済改造』を「雲の柱」に連載し、自らが神戸で実施した私的「失業共済組合」について言及している。当時、今の雇用保険にあたる失業者への給付制度はなかった。スラムの中で考え抜いた仕組みである。官のつくった制度はまず制度づくりに時間がかかる。それから制度がどうしても硬直的になる。民で行えば、機動的に行動に移せる。賀川のアイデアは現代にも通用するのではないかと思う。
失業共済組合
私が信用組合の項に於いて述べた米国ミネソタ州ミネアポリス市の失業者共済ギルドは、最も美しい共済組合の一つである。
日本に於いて、失業者共済組合を最初思ひ付いたのは、神戸新川の貧民窟の私の伝道を永く助けて居て下さる竹内勝氏である。彼は神戸市の不熟練労働者の間に、私の忠告に従つて共済組合を組織した。それを彼は昭和二年(一九二七年)以後失業者の救済にまで発展させた。実は、私も共済組合が失業者の救済にまで発展させ得るものだとは気が付かなかつた。
先づ彼は、総ての失業者を登録した。そして、仮に千人の者が登録したとする。第一日目に神戸市全体の雇主から二百五十人の求人があつたとする。その場合には、仕事を得た者が五銭づつ共済組合に支払ふ。そして雇主も失業救済の意味に於て、賃銀の外に一人当り五銭宛多く支払つて貰ふ。それに対して、更に神戸市役所は登録人員一人当り約五銭宛補助を与へる。
第二日も求人二百五十人あつたとすれば、登録番号二百五十一人目から第五百番までが就業する。そして他の七百五十人は全部失業する。然し、斯うして、若し毎日、二百五十人分宛の仕事があるとすれば、四日日に一度づつ仕事が得られる訳である。そして、四日の中あとの三日間遊んでゐる者は、一日に対して十五銭の失業恵与金(Unemployment Benefit)を貰ふことが出来た。然し、実際に於ては、市役所は色々な失業匡救事業を始めたので、失業の率はそれよりも少く、従つて恵与金も多く与へることが出来た。
私は、この失業共済保険制度を東京に移して、そして今や日本の六大都市は皆これを実行して居る。この失業共済保険制度の特徴は、(一ケ月間続いて仕事に従事した者に対しては、何パーセントか払戻しをして、出来るだけ失業者をドール・システム(Dole System)に陥らない様に努力したことにあつた。失業が止むを得ないとすれば、かうした共済的保険制度は、労働階級の道徳心を維持し、勤勉なる習慣を持続する上に於いて、大袈裟な失業保険制度より有効であると私は考へて居る。(雲の柱から転載)