みくりやと賀川豊彦

 賀川豊彦記念松沢資料館の加山久夫館長が書きつづっているブログ「Who is Kagawa? 賀川豊彦って誰?」で「みくりやと賀川豊彦」という連載が始まった。
 http://blogs.yahoo.co.jp/t_kagawa100

 御殿場市に現在もある高根沢保育所は、昭和6年、賀川豊彦がつくった御殿場農民福音学校高根学園が前身にあたる。農村に学ぶ場が必要だと考えた御殿場の青年たちが賀川に相談し、賀川がお金を出して建設した。

 この学校では当時としてはそうそうたる講師陣が集まった。杉山元治郎は農協運動の開祖。竹中勝男、駒井卓、河上丈太郎、枡嵜外彦といった人たちの講義は連日満員の盛況だったという。

 福音学校では賀川が得意の立体農業を教え実践した。ユニークなのは豚を飼育してハム・ソーセージづくりに乗り出し、その技術によって現在の高崎ハムが生まれたことである。高崎ハムは現在株式会社となっているが、3年前までは群馬畜産加工販売農業協同組合連合会といういかめしい組織名だった。

 萬晩報 2007年10月31日 実業を教えた日本のホイスコーレ
 http://www.yorozubp.com/0710/071031.htm 

 高崎市のホームページには設立当時の事情が以下のように書かれている。

 昭和初期の大不況で荒れていた農村の更生に、農業の多角化も奨励されていました。そのような背景の中、農民たちが相諮ってつくり上げたのが『高崎ハム』でした。高崎ハムは、わが国唯一の農民資本による食肉加工メーカーとして、創業以来、終始一貫して農民の意志により運営され、業界内の全国有数の企業にも劣らない組織として成長してきました。
 
 立案計画を任されていた群馬郡農会長の竹腰徳蔵は、早くから畜産加工を生産者農民自らの協同組織により設置運営したいと考えていました。竹腰は、副会長の大山福次、倉賀野町の渡辺覚哉を先進工場に派遣して実地調査を行った結果、創業に当たっては「問題は技術と経営である」という判断を下しました。そこで竹腰らは、賀川豊彦経営の御殿場農民福音学校にいた勝俣喜六を技術者として招き、経営面においては大山福次を配することで、製造技術と製品販売についての問題を解決しました。
 
 昭和12年10月、高崎市ほか34か町村の産業組合や農会が集まり、創立総会が開催されました。高崎市は、末広町の一反三畝の土地を無償貸与する代わりに、製品名を「高崎ハム」とし信越線の乗客から見えるように、工場の屋根に「高崎ハム」と大書して欲しいという申し出をしました。ちなみに、草創期の関係者は、食料品の加工販売という業務の性格上、協同組合よりも「高崎ハム」の銘柄を全面に出すことで意見が一致していました。