ニューヨークで見た労働組合の衝撃 賀川豊彦

 賀川豊彦にとっての労働組合の衝撃の原体験は休暇でニューヨークを訪ねた時にたまたま目にした労働組合のデモの風景であった。団結が力となることを知った。戦わなければ何も得られない。この時、帰国したら労働組合を結成して戦うことを決意するのである。

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 黒人の貧民窟があると思えば、ユダヤ人の貧民窟がある。世界27カ国の移民が一先ずこれ等の貧民窟に落ち着いて、それから米国全土に散っていくものだから、その混雑と云えば、とても話にならない。
 午後6時頃にユダヤ人の貧民窟に行くと街はとても通れない程人で充満して居る。それは5階6階にある自分の家を目指して狭い道に多数のものが何処からともなく帰ってくるものだから、縁日のようににぎやかであった。その間を12、3のユダヤ人の少年が石鹸箱の上に立ち上がって社会主義の演説を群集に向かってして居る。巡査が後から追っかける。子供は群集の中に逃げ込む。あまり大勢ですぐわからなくなる。それは実に凄い光景である。
 示威運動が通る! 6万人の針職職工組合(ニードルウォーカーズ・ユニオン)の示威運動が通る! 横に16人位並んで1時間半も通り続ける。マンハッタン区にある450の洋服製造所の資本家が、イーストサイドにある6万人の貧しい職工を締め出した(ロックアウト)のである。
 照り輝く8月の太陽の下に伊太利の労働者、ユダヤの労働者、ボヘミヤの労働者、殆んど世界中の労働者が一緒になって行進する。
「パンを与えよ」
と書いてあるプラカードもある。
 洋服を初めて着たと云った風態をしたシリアの女があれば、踵の高い靴を穿いて初めて街に出て、歩き難くて困って居ると云ったようなボヘミヤあたりの女の一群もあった。
 各種の色彩をした組合旗が正午の太陽を浴びて揺れつつ進む。
 それは荘厳と云おうか、悲惨と云おうか、恰も屠場に引かれる子羊の大群のように、淋しい眼をして幾万の生霊が歩んだ!
 栄一は第3街と第22街の角に立って、行列を終りまで見て居たが、涙が舗道の上に落ちるのを知らなかった。
 ――貧しい人々が、之だけあるのだ! 之だけ! そして、之だけの人々が450人の人々を敵として戦って居るのだ!
 とても、救済など云うて居ても駄目なのだ! 労働組合だ! 労働組合だ! それは労働者自らの力で自ら救うより外に道はないのだ! 俺は日本に帰って「労働組合から始める」彼はこんなに考え乍ら行列を見送った。(『太陽を射るもの』から抜粋)