望遠/広角:賀川豊彦の破天荒な魅力と危うさ【毎日新聞4月16日夕刊】

望遠/広角:賀川豊彦の破天荒な魅力と危うさ

 キリスト教思想家、社会運動家賀川豊彦(1888〜1960年)ほど、没後急速に知名度を失った人物は珍しいだろう。何しろ大正期に出た自伝的小説『死線を越えて』は3部作合わせて400万部のベストセラーだったし、存命中にはインドのガンディーと並ぶ「東洋の代表的聖者」に数えられるほど海外でも知られていた。今では謎というしかない有名人ぶりだ。

 その賀川が今、金融恐慌や経済格差が叫ばれる中で再び光を当てられつつあるらしい。一つの契機は今年が賀川の「献身100年」に当たることにある。「献身」とは1909(明治42)年、彼が神戸にあったスラム街に住み込み、貧民救済と伝道に身を投じたことを指す。この若き日の苦闘をつづった『死線を越えて』は、復刻版が最近PHP研究所から刊行された。

 また、季刊誌『at』15号(発行・太田出版)が「現代的可能性を求めて」との副題で力の入った特集を組んでいる。宗教学者山折哲雄氏の「抑圧された賀川思想の回帰」をはじめ、宗教運動にとどまらず、労働運動、生活協同組合運動、農民運動など賀川の多彩な活動から「可能性」をすくい上げようと試みている。満蒙(まんもう)開拓団への協力といった負の側面にもよく目配りしているものの、以前、個人的な関心で調べた経験からいうと、ややアプローチがまじめすぎる感じも受ける。

 というのは、賀川は同時代のメディアのあり方に敏感で、運動の宣伝にも自覚的な人間という印象があったからだ。一例を挙げると、まだラジオが試験放送の段階にあった24(大正13)年、「日本で初めて」音声による説教の中継放送を行っている。あえて分かりやすく言えば、今ならテレビに積極的に登場し、稼いだ出演料をすべてホームレスや派遣切りに遭った人々のために使ってしまう−−そんな破天荒な行動を取る人のように思われるのだ。

 同誌の特集で目を引いたのは、ファシストを自称する外山恒一氏の「ファシストの目に映る賀川像」。イタリアのムソリーニと比べながら論じているが、氏も認めているようにこの比較自体は「差異の方が際立つ」だけでうまくいっていない。だが、「例えば農民の生活の改善という結果さえ得られると判断すれば、賀川はどんな相手であれ協力を惜しまなかったはずだ」と、その「リアリズム」を見抜いている。こうした危うさと表裏一体の魅力を考えてこそ、この人物の可能性と限界は見えてくるのではなかろうか。【大井浩一】=記者コラム「望遠/広角」は随時掲載します

 毎日新聞 2009年4月16日 東京夕刊