プラティープさんの『体験するアジア』−450万円の義捐金

 夏休み、秦辰也・プラティープ・ウンソンタム・秦共著の『体験するアジア』(明石書店、1997年)を読んだ。秦・プラティープさん夫妻による日本・タイ共生論である。7月の神戸でのシンポジウムで秦・プラティープさんと出会い、なかなか出来ないことをタイのスラムで実践してきた二人であることは知らされたが、具体的にどんな活動をしてきたのか恥ずかしながら知らなかった。
 シンポジウムでは阪神淡路大震災のとき、タイのスラムの人々が450万円もの義捐金を集めて神戸に送ってきたことが紹介されていた。『体験するアジア』の中で秦さんはその感動的な経緯を書いているので紹介したい。

                                                                                                  • -

せめてもの真心をおくろう

 数日後、思いもかけない感動的な出来事が私たちの周辺で起きた。大震災で被害に遭った人たちのことに強く心をいためて、「日頃から援助を受け、交流のある日本の人たちにせめてもの真心を贈りたい」と、周辺にいるタイ人たちが立ち上がったのである。周辺の人たちとは、バンコク市内でも経済や教育・福祉のなどの面でさまざまな問題を日頃から抱えているスラムの住民たちや、それに関わるボランティア団体の人たちで、仲間うちで募金活動をして義捐金を被災地区に届けるというのである。何とも言い表しようのない心境であった。
 呼びかけの先頭に立ったのは、ドゥアン・プラティープ財団などのスタッフたちで、1月25日の午後から同財団事務所の3階にある会議室で住民ボランティアを交えて緊急会議が招集された。会議には、人口約10万人ともいわれるクロントイ・スラムの各地区の代表や、「今回の支援にぜひ加わりたい」と名乗りを上げてきた「スラム・チャイルドケアー財団」という恵まれない子どもたちを支援している団体や障害児のための財団、それに私たちボランティア会の関係者など約50人が出席した。
 会議の席では、「救援物資としてタイのコメを送ったほうがいいのではないか」という意見や、「募金をしてもいいが、箱を持ってスラムのなかを歩き回るボランティアが必要だ」、「その時は領収書をどうするか」などの声があちこちから聞こえてきた。また、スラムの住民たちからは、「日本ではタイ米はマズいとの評判だし、タイのお金は日本ではまったく価値がなくなってしまうよ。相手はお金持ちの人たちだから、少ないお金なんてどう受け取れられるか心配だ」との意見もあった。だが、会議の参加者は「たとえ少額だったとしても、私たちの気持ちが伝えたい」と言い、それぞれの地域で募金を行って一括して被災地に送ることで意見が一致した。
 バンコクでも指折りの規模を誇る屋台が並ぶクロントイ市場の地区住民委員会の人たちは、会議が終了したその日の夕刻から地域のおばさんたちや買い物客にマイクで声高らかに呼びかけ、さっそく、募金活動を実施した。この地区で委員長を務めているアモン・ワーンウィワッシンさん(62歳)は、「夕方5時ごろから公民館の前に机を出して、市場付近で女性ボランティアたちと一緒に呼びかけた。4時間ぐらいで7000バーツ以上(約3万円)が集まった」と、翌26日の午後に届けてくれた。また、クロントイ・スラムの中心部にあるバタナー共同体小学校では、先生たちが1年生から6年生までの全校生徒約1800人に募金を呼びかけ、1バーツや5バーツ硬貨などを持ち寄った。子どもたちは、「テレビで震災を受けた人たちの悲惨な状況を見て、とてもかわいそうだと思った」と、はにかみながら応えてくれた。
 バンコク周辺には都市貧困者が住んでいる劣悪なスラムが1000カ所以上もあると言われているが、スアンプルーやチュアパーンと呼ばれる地区など、その他のスラム地区でも住民ボランティアがチラシをくばりながら募金箱を持って地域の中をまわってくれた。なかには、1日の日給分にもあたる50バーツや100バーツ紙幣を出してくれる人たちもいた。
 この活動に賛同し、地域の人びとに協力を訴えているチャム・ブーンルアさん(53歳)は、「私たちもこれまで地上げ屋から立ち退きを迫られたり、放火を受けて大火に遭ってきたから、神戸の人たちの心境がよくわかる。決して生活に余裕があるわけではないけれど、同じ人間として市民レベルで日本の人々に真心を伝えたい」と話していた。
 このほか、同月30日までには、象祭りで有名な東北タイのスリン県などの農村からも募金が寄せられた。ドゥアン・プラティープ財団が、本来ならタイ国内の社会問題の解決にあてるはずの予算から今回の阪神地区への緊急援助として100万バーツを拠出することを決めたことから、結局募金は総額112万バーツ(約450万円)にも達した。日本円に換算すれば少額かもしれない。だが、タイのお金の価値からすれば、5倍、いや10倍にも匹敵する大金である。
 こうした形でタイが日本に対して市民レベルで協力するのは、恐らくこれまでの長い歴史の中でも初めてのことである。そういう意味でも今回のこのタイの人たちの勇気ある行動は、これまで「貧しいから恵んであげる」ぐらいの気持ちでアジアと接しがあちだった私たち日本人には、鋭いものをぐさりと突きつけられたような衝撃的かつ感動的なことであった。
 この募金をみんなから預かり、私はプラティープとともに神戸に入ることになった。多大な協力を寄せてくれたタイの人たちの真心が、被災者のみなさんにうまく伝わればと願わずにはいられなかった。