北欧印象記述(3)

協同組合行脚

ポーランドの協同組合

ラトヴヰアの暗い市からワルソウに来ると、その美しさに驚く。然し何だかフヰラデルに来たやうな気がする。ただ欧州だけに少し垢ぬけがしてゐるやうに思ふ。最初、市の信用組合に行き、そこより教へられて建築組合に、そして全国聯合中央会に行った。此処は聯合会未加入のものをも含めて監督する政府の役所でめる。全国には二万から組合があるが、聯合会に這入ってゐるのは僅かに一万一〇〇〇余であるとのことである。それも旧オーストリア方面に多いとのことである。
聯合会は一一団体が加入し、農村信用組合はライファイゼン式で、都市はシュルツ式になってゐる。
その中、消費組合は約一三〇〇、支店を人れて二万五〇〇〇店あるとのことである。然しワルソウは僅かで、五〇〇〇余店しか無いとのことであった。その一つを私は見たが、組合住宅の中にあるほんの小さいものであった。
消費組合聯合は国に三つで、一つはワルソウに、二つはヴォフにあるとのことであった。
全売上は、一九三五年度は一億一〇〇〇万ゾルチ(五ゾルチが一弗)、その中七〇〇〇万ゾルチがワルソウ組合聯合会で取扱ってゐた。
そこから私は卸組合を見に行ったが五階建の新建築の堂々たるものであった。一〇日に一回新聞を五万発行してゐるとのことであった。生命保険は無いと云ってゐた。

独逸の協同組合

ナチスの天下になっても、協同組合は依然としてそのままにおいてある。そして小売制度の攻撃は許さないが、組合員の自由獲得を許してゐる。
種類としては、信用組合、販売組合、購買組合、生産組合、住宅組合、保険組合等が主なるものである。
全国の組合一万一〇〇〇、組合員約二〇〇万人、従業員四万五〇〇〇、卸組合従業員一万一〇〇〇、ハンブルグ本部四〇〇〇人(従業員)。全国を一一区に分ち、中央会の如きものを作り、監査委員会本部を作り、政府より、委任を受けて調査してゐる。もとケルンとハンブルグにあった一つの製造卸部を今は全部ハンブルグに統一してゐる。
一九三三年にナチスが之を凡て政府のものにした。

ベルリンの協同組合の失敗

ベルリンには約三〇〇余あったが、三〇〇〇万マークの預金を取ってゐた為め、取付に遭ってつぶれて了った。それで全部を閉鎖することになってゐる。
二年半の間に、四億マークの預金部の金が、二億五〇〇〇万マーク引出された。それで辛うじてナチスが六〇〇〇万マークの保証をして救済することになってゐる。
ベルリン協同組合失敗の原因は簡単である。
一、二〇万の組合員と三〇〇の支部を持った為めに相互間の聯絡を失ひ、人格的統一が無くなったこと。
二、生産に力が入り、組合員だけでその生産に応じ得なくなったこと。
三、不景気の為め組合員が預金部を取付けたこと。
兎に角ベルリンの苦い経験は、生産資本家の失敗と同じ経験を繰返したのである。
で、ベルリンは全く之を閉鎖することになり、店舗は全部個人に売渡すことになってゐる。然しハンブルグでは盛んにやってゐる。また会員を増加さすことも自由である。然し一九三三年に万国同盟より除名された。
私はハンブルグの印刷所と魚類加工場を見たが、その設備の大きなのに驚く外なかった。

フランスの協同組合

パリに着いたのは七月二九日であった。その日の午後 Union Du Co-operation を Temple ave に訪問したが、一種の旅行組合のようなもので要領を得ない。そこからすぐ Federation du Co-operationに行く。
もとの信用組合の潰れた跡を引受けて大きな、モダンな、小じんまりしたものが建築されてゐた。その五階に行き、私が瑞典の万国協同組合学校でした講演を聞いた組合学校教授に会ひ、一々事情をきく。
それによると、一八九二年に九八〇あった消費組合が戦争中、四七九〇にまで激増したが、戦後の不景気に激減し、一九三四年には二九〇八になった。
然し、組合が潰れても全組合員は減らず、一九二〇年に二〇万人位であったものが、一六年後の今日では一〇七万人に増加するに到った。従って売上高は、一九二〇年には一年、四億フランであったものが、一九三五年には一七〇〇億フランになってゐる。
信用組合は、中央金庫で三億四〇〇〇フラン預ってゐたが、社会運動に一億フラン貸して不良貸付となり、一九三四年四月に一旦潰れ、一九三四年七月、三割だけを支払ふことになって再興した。
共済組合は全国に二万余あり、農民の信用組合は六〇〇〇ある。然し之は別に中央部を組織してゐる。卸組合は、今日で三〇〇〇近くあるが、卸購買に加盟してゐるものは、一九三三年には八九四しかなかった。
巴里の郊外を入れて四〇〇余の店があるとのことであった。

フランスの健康保険

保健組合八〇〇中、五〇〇は共済組合を基礎にして作ってある。そして之には凡てが含まってゐる。賃金の三パーセント半を労働者が、三パーセント半を雇主がかけ、失業保険養老保険をも含めてゐるが、失業保険は、八〇パーセント、時には殆ど全部政府が出してゐる。

スヰスの消費組合

これは郡で独立経営をしてゐる。組合数五三五、組合員七〇万、一二地方区に分れてゐる(郡は二二)。売上高一億六七〇〇万円、工場一二、バゼルに本部があり、二〇〇の小売店を持ってゐる。チューリッヒには一五〇の店があるが、ゼネバには五〇しかない。
面白いのは養老年金、健康保険をも兼ねてゐることである。
スヰスの協同組合はペスタロッチの思想に大いに啓発せられ、内側の力をより多く大切なものと考へてゐることもオーストリアの人人から聞いて感心した。バゼルの側のフライブルグの村塾教育などは大変ぺスタロッチに負ふところがあると教へられた。
地方の小支部を中心とし、会計検査に重きをおかず、英国式に誰でも売るのがスヰスの特長であると知って、もう少し多く見なかったことを惜しいことしたと思った。

スヰスのキリスト教労働組合

スヰスには一万四〇〇〇人のプロテスタント労働組合があって、カトリックに対抗してゐる。カトリックが余りに横暴で、葬式さへ許さず、墓地まで邪魔するのでやむを得ぬとのことであった。
独逸には元、新教旧教を合せて中産俸給労働者六〇万人、労働者四〇万人位のキリスト教労働組合員があったさうだ。之は,唯物主義のマルクス主義に反対してゐたものださうだ。最近になって、カトリックから分離したが、ヒットラーの政策によって凡てが沙汰やみとなったとのことであった。
オランダには一〇万人からの組合員がある。欧洲では最も盛んだとのことであった。
今ではデンマークアメリカとオランダとスヰスの四ヶ国にかうした労働組合がある。