少年平和読本(19)世界連邦を作ろう

  世界は「国家時代」から平和な
    「全人類時代」に移ろうとしている
 世界は狭くなった

 わたしは今ロンドンにいるが、去年の暮の二十二日の朝、羽田の飛行場を出発し、四日間の空の旅の後、クリスマスの夜はロンドンに着いていたのだった。昔、能因法師は『都をば霞と共に出でしかど秋風ぞ吹く白河の関』と歌った。京都から福島県の白河までわずか二百里あまりの旅に、半年をついやしたころとくらべて、なんという相違だろう。それだけ世界はせまくなったのだ。時間的に考えると、現在の世界は、能因法師のころの日本よりも、ずっとずっとせまいといえる。そうだ、世界は小さくなりつつある。それだのに、各国が、たがいに垣根をつくり、目をつりあっているなどというのは、徳川時代に小さな藩が無数に分立して、たがいに警戒しあっていたのと同じで、こっけいにさえ思える。わたしたちは、国家というものの考えを、地球のひろさまでひろげていったらどうだろう。ほんの十日たらずで一周のできる地球だ。一つの国家として考えても、けっしてふしぎはない。
 世界を一つとする世界国家をつくれ、という声は、今や世界にさかんとなってきて、イタリヤやフランスでは、自国の憲法を改正して、そのことをきめ、アメリカなども、二十幾つの州ではこれを議決したほどである。これは今までの主権絶対の国家観念からすれば、相当の飛躍で、そのため昔の国家主義にこりかたまった人々からは「ユートピアだ」「夢だ」と反対されるが、ユートピアであるかないか、実行してみることだ。実現は可能である。必要は可能をうむであろう。
 人類を破滅より救うもの
 「最近の攻撃武器の発達は、歴史上その比をみない大量の人殺しの手段をつくり出した。これ等の兵器は他からの攻撃をふせぐというよりは、はるかに侵略に役立つ。だから、もし将来戦争のおきるのを放っておけば、人類の大部分はほろび、都市はこわされ、土地さえも毒をうけてしまうことになるだろう――」こういっているのは、世界的科学者としてその名をしらぬ者もないアインスタイン博士である。原子爆弾のような、世にも恐ろしい攻撃武器が発明されて、広島では、たった一発の原子爆弾のために死傷十数万の犠牲者を出したほどである。その後の研究で、さらに破壊力を増した原子爆弾水素爆弾のような攻撃武器が、敵味方によってつかわれることとなれば、アインスタイン博士のいわれるように、人類の大部分のほろびる日がこないとは、誰も保證はできない。そこで、博士はいっている。
 「こうした破滅から人類を救う方法は、一つしかない。それは、世界政府の建設である。世界政府が、すべてのこうした兵器を管理し、必要なる機関をもうけ、今まで戦争の原因となっていたすべての事がらについて、法律を制定できる権限をもつことにしなければならない」
 こういって、世界政府をつくることが、人類を破滅から救うただ一つの道であり、自殺的な文明の破壊を防ぐ唯一の方法だ、といっているのだ。博士は、この方法が唯一であるばかりか、「一ばんやすあがりの方法」だともいっている。そうだろう、世界国家ができれば諸国家間におこる紛争は、すべて戦争のような暴力手段に訴えることなく、世界連邦の大法院や最高法廷で審理するのだから、厖大な軍備も不用となり、兵員の育成や、兵器の発明や製造にうき身をやつすこともなくなって、各国の財政もらくになるであろう。そうした物質的な利益よりも、人類がたがいに殺しあわず、たがいに愛しあい助けあうことができるという精神的よろこびは、なにものにもかえがたいといわねばならぬ。
 日本国民で世界連邦人民
 それならば、世界連邦ができれば、日本という国家がなくなり、わたしたちは日本人でなくなってしまうのかというと、そうではない。日本という国家は、世界連邦ができても厳存し、わたしたちは日本の国民であるとともに、世界連邦の一員となるのである。
 しかし、ここで一番大切なことは、昔のように、国と国とが対立し、競争し、にらみあう「国家時代」がおわりをつげて、「全人類時代」が来つつあるということを知ることだ。わたしたちの兄弟は「国家のため」という美名のもとに、戦争にかりたてられた。しかし、そうした時代はもうすぎて、「人類のため」という旗印の下に、四海同胞をもって、人類共通の目的である人間のさいわいのために、平和と正義を確保せねばならぬ時がきたのだ。
 では、そのために、われわれはどうすればよいのか。世界憲法草案によると、まず各国がその主権の一部をさき、これを世界の一つの政府――世界連邦政府にゆずる。そして、何よりまず各国の軍備を撤廃し、世界議会をひらき、世界行政府をたて、世界裁判所をもうけ、世界警察をおき、世界が一つの法の下におさまっていく仕組み、すなわち一つの法治社会としようというのだ。
 主権は世界人民にあり
 世界連邦では、主権は世界人民にあって、以前の日本のように、天皇にあるのではないばかりか、個々の国々が最高絶対の主権をふりまわすのでもない。もともと人間にある主権のうちから、何千人か何万人かに関係のある事柄についての主権を出しあわせて、第一の政府――市町村制を作り、百万人か、二、三百万人かに関係のある事がらについては第二の政府――府県制を作り、何千万人かに関係のある事がらについては第三の政府――国家を作り、さらにその上に二十四億の全人類に関係のある事がらを処理していくために世界国をつくる。この世界国を、世界連邦というのである。
 国家に武力主権なし
 戦争をするとかしないとか、軍備をするとかしないとかの権限は、各自国の政府からとって、これを新しくつくる一つの政府  世界政府にまかせるので、国家間に紛争がおこったとしても、各国が武力を行使できるはずもなく、つまり、戦争が不可能になり不必要になるのである。
 それなら、国と国との間の紛争は、どうやって解決をつけるのかというとそれは、ちょうど現在の一国の中で、ある集団と集団との争いが法でさばきがついているように、世界政府の審判によって解決される。つまり世界法にもとづいて処理され、わからないことは世界裁判所が裁判し、法にしたがわないものがあれば、世界警察がそのまかされた権力で、しまつするのである。
 今日まで、国際連盟国際連合のような世界平和の維持を目的に国際組織がつくられても、戦争防止の力がなかったのは、バラバラの各国が絶対主権をふりまわして、それぞれ自国の利益を主張しあうばかりで、全人類が一つに結合した世界国は、なかったからである。世界連邦はこの点を考え合わせ、世界二十四億の人間が、めいめい市町村や、国の政府をもちながら、その上に、ただ一つの共通の政府――世界政府をもつことにするのである。
 こうしてはじめて、世界の土地と水と空気とエネルギーとを、本当に人類の共同の財産とすることもでき、国と国との間の戦争をなくすることもできるのである。
 特色ある立法機関
 では、世界連邦はどうして組織するか。連邦は、けっして一国が全世界を征服するのではなく、全世界が法をさだめて、これを連邦の盟約とする連合体だから、その立法、司法、行政の各組織は、世界連帯意識   わかりやすくいえば、二十四億の心と心が、一本の帯のようにつながる相互信頼、相互扶助の精神の上にたてられねばならないのである。
 政府の機関の中で、一番大切なのは立法機関――つまり議会で、シカゴ案によるとこの議会は両院制で、世界人民代表大会(下院)と、世界連邦総会(上院)の二つとする。
 世界人民代表大会は「主権在世界民」の精神にもとづき、世界中から人口百万人につき一人のわりで、一般投票により代表を選出するので、世界の人口二十四億とすれば二千四百人の代表者がでるわけである。会期は三年に一回。世界連邦組織に関する重大な事がらを決議し、世界連邦総会を開くしたくもする(今のところ、一九五五年に連邦政府を樹立し、第一回の総会を開こうとしている)。
 もう一つの世界連邦総会の議員は、人民代表大会が選挙するもので、その議員の比例を公平にするため、全世界を九つの選挙地区にわけ、一地区から二十七人ずつの候補者を選出し、その中から、大会で一地区から九人ずつ、合計八十一名の議員を選挙する。一方、べつに、地区選出によらない連邦総会の推薦した議員十八名をくわえ、計九十九人よりなる常設連邦議会が成立し、これが世界連邦政府の最高立法府となるのである。
 なお連邦総会議員の九つの選挙地区というのは、極東、南洋、印度、中東、および近東、ロシアおよびその衛星国、アフリカ、西ヨーロッパ、北米、南米で極東地区には中国、韓国、日本がふくまれ、南洋地区には豪州、フィリッピンインドネシアもふくまれている。
 世界連邦ができたら、みなさんの中から世界連邦総会の議員もでることであろう。
 少数民族擁護に人権護民官
 この憲法の特徴の一つは死刑が廃止されていることと、いま一つは連邦人民少数者を代表し、その利益を擁護する意味で、人権護民官を任命する規定があることである。これは人民代表世界大会で前記九十九人の議員を選挙した後、同じくこの大会で選挙することになっている。ただし候補者は前記九大選挙地から各々大統領候補者に推薦された者以外の者のみが有資格者で、しかも投票の結果、最高次点者が当選する事になっている。
 人権護民官は連邦人民少数者を代表し、利益擁護のため、世界国家の大目付役として大審院高等裁判所等にオブザーバーとして出席する。
 このほか大統領は議会と大審院の協力により、自分のほかに現職軍人ではない六人の議員よりなる世界治安院を連邦政府の連邦警察常備軍の指揮監督に当らしめ、専ら世界の平和と治安維持につとめる。
 世界連邦か世界破壊か
 以上は世界憲法草案シカゴ案の概要だが、この世界憲法草案は、次の四つの仮定原理から出発している。

  1. 戦争は違法である。そしてまた違法とすることができる。平和は、これを世界に強制することができる。そしてまた強制せねばならない。
  2. 世界連邦政府か、でなければ世界破滅か、この二つのほかに道はない。
  3. 世界連邦政府は必要である。だから、これは可能である。
  4. 世界連邦政府と平和の価値は正義である。

 そうだ。世界の情勢は、世界政府か、しからずんば世界破滅か、というところまで来ている。戦争を違法とし、平和を強制せねば、世界は破滅する。もう、世界連邦はユートピアだなんていっている場合ではない。ぐずぐずしていれば世界は破滅する。火はもえ出している。このさい、わたしたちは、どんな犠牲を忍んでも、世界連邦を樹立し、世界平和を確保せねばならないのである。